KKT杯バンテリンレディスオープン最終日、最終組でスタートする大西葵(撮影・今浪浩三)
KKT杯バンテリンレディスオープン最終日、最終組でスタートする大西葵(撮影・今浪浩三)

彼女は、今にも泣きだしそうだった。質問を投げかけても、返ってくる返事は短い。時折、どこまでも青く、澄み切った熊本の青空を眺めるようにしながら、涙がこぼれるのを我慢していた。おそらく、涙がこぼれれば、せきを切ったように止まらなくなっていただろう。目を赤く腫らし、短くため息をはいて、重い足取りでコースから去った。

大西葵(24=YKK AP)にとって、悲願のツアー初優勝は手の届く場所にあった。熊本空港CCであったKKT杯バンテリン・レディース。4月19日の第1ラウンド(R)で68を出し、首位と1打差2位。続く20日の第2Rでも70と2つスコアを伸ばし、首位で21日の最終Rを迎えた。

だが、これもプロの厳しさ、ゴルフの難しさなのだろうか。「ここまで来たら、絶対に優勝したいです」。そう言い切って臨んだ、プロ人生2度目の最終日最終組。彼女は、悪夢を見た。

2番パー4で第2打がシャンクしてOBを打ち、トリプルボギー。1度は気持ちを切り替えたが、10番パー4でもティーショットがOBとなり、2度目のトリプルボギー。優勝争いから、遠く離された。

苦しんだ最終日。その18ホールは、彼女のゴルフ人生、その縮図のようでもあった。

「私は(手が)全く動かないから。(引退を)考えたりも、したんですよ。(パットが)入らなくても、動きさえすればいいんですよ、私は。全く動かないので、ホント、いろいろ考えたりしていました」

パターのイップスになり、ここ数年は「引退」の2文字が頭をよぎった。昨年は13戦出場で予選落ち9回。17年に約1272万円あった年間獲得賞金は、226万円まで激減した。悩み、苦しみ、大好きなゴルフを、諦めかけた日もあった。試行錯誤を繰り返し、シャフトを左腕に固定してストロークするアームロックにして、ようやく改善の兆しをつかんだ。

その時間は、まるで21日の最終日のようだった。どんどん優勝争いから、離されていく。憧れ続けた夢が遠ざかっていく。通算6アンダーから出たスコアは、ついに同3オーバーにまで後退した。

「ムカついてきて、10番では昨日、一昨日と刻んだところを、ドライバーで打ってOBにしちゃって。そういうのダメだな、と思って。ショットがひどすぎて、ちょっと『もういいや』と思ってしまった」

自暴自棄になり、ボロボロになっても、彼女は最後まで立派な姿勢を貫いた。これは、大西と同組で、国内通算23勝目を飾った李知姫(40=韓国)が、優勝会見で明かしたコメントである。

「葵ちゃん、泣きそうだった。自分が苦しい1日で、いっぱいいっぱいのはずなのに、横で応援してくれるんですよ。(パットの際に)『入れ~』って。すごいですよ。来週、ご飯に連れて行ってあげます」

大勢のギャラリーが待ち受けた最終18番パー5。まるで暗闇を歩いているようだった1日に、ほんの少しだけ、光が差し込んだ。大西は、長い長いバーディーパットを沈めた。

その瞬間、涙がにじんだ。

イップスに苦しんだ時間と、優勝に手をかけながら自ら手放した18ホールが、走馬灯のように浮かんできたのだろうか。結果は同2オーバーの42位でも、最後のバーディーパットこそが、イップスから抜け出した時と同じように、次につながるものになるに違いない。

大会が終わり、いつまでも悲しそうな顔をしている大西に近づき、そっと肩を抱いた人がいた。今大会には出場していない親友の藤田光里(24)だった。仲のいい大西の優勝を見届けようと、熊本まで駆けつけていた。

「ひかり。わざわざ東京から来てくれた。いきなり。不甲斐(ふがい)ない。ごめんね。ありがとう」

大西は自身のSNSにそう記した。

プロスポーツでスポットライトを浴びるのは、勝者だけである。それでも、悔し涙を流した分だけ、人は必ず強くなる。【益子浩一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

KKT杯バンテリンレディスオープン最終日、通算3オーバーと崩れガックリする大西葵(撮影・今浪浩三)
KKT杯バンテリンレディスオープン最終日、通算3オーバーと崩れガックリする大西葵(撮影・今浪浩三)