ラグビー

早大、常に進化する「伝統」 原点回帰ではなく挑戦

<大学と日本代表(3)>

大学ラグビーに焦点を当てるシリーズの第3回は、大学選手権で最多優勝15回を誇る早大。日本選手権では大学チームで唯一、複数回(4回)の優勝を経験するなど、大学ラグビー界をリードしてきた。堀越正己や五郎丸歩ら数多くの日本代表選手も輩出。強さの裏には、伝統を守りつつ、伝統にとらわれないチャレンジ精神があった。

09年1月、早大・中竹監督(右)は豊田主将と肩を組み「荒ぶる」を歌う
09年1月、早大・中竹監督(右)は豊田主将と肩を組み「荒ぶる」を歌う

  ◇   ◇   ◇  

えんじと黒のボーダーに黄金の稲穂。伝統のジャージーは、土でも芝生でも、はたまた雪の上でも鮮やかに映えた。長い年月をかけて、多くの人の記憶に刻み込まれた“赤黒”。18年に創部100周年を迎えた早大は、常に大学ラグビー界を引っ張り続け、堀越正己、増保輝則、五郎丸歩ら多くの日本代表選手を輩出してきた。

同時に多くの名指導者も輩出してきた。そのうちの1人が、06年から4シーズンに渡って指揮した中竹竜二氏(45)。学生時代は主将を経験し、監督になってからは関東対抗戦3度、大学選手権を2度の優勝へと導いた。「僕が現役の時から早稲田は雑草集団。数人の天才と大半の雑草。狂ったように練習したから勝てた」と語る。高校時代は無名だった選手の中に、能力の高い選手が入って刺激を与える。激しいポジション争いが早稲田を強くした。

1927年のオーストラリア遠征をきっかけに「揺さぶり」戦法が芽吹いた。50年代から80年代まで3度にわたって早大を指揮し、日本代表監督も務めた大西鉄之祐氏(故人)は「接近・展開・連続」の理論を完成させた。小柄な日本人が世界と戦うヒントにもなった。軽量FW・BK中心の展開ラグビーは「横の早稲田」と称され、強力FWを擁する「縦の明治」と比較されながら、名勝負を繰り広げた。

90年近く早大の代名詞となった戦術が早大を強くしたが、伝統の圧力に押しつぶされそうになる時もあった。「とにかく揺さぶりだけやっている時代もあった。昔からやっている伝統さえやれば勝てるみたいな」と中竹氏。勝利への手段が目的化してしまった時期もあったという。

伝統に縛られがちの早大を、中竹氏は解放に努めた。指揮官3年目から、当時の日本代表のコーチ陣をチーム練習に招請。時にはジョン・カーワンHCを呼び寄せるなど、2年間で約20回ほど日本代表から最先端の技術を学んだ。革新的な環境で育てた教え子のFB山中亮平、CTB村田大志、フッカーの有田隆平らが日本代表に名を連ねた。

伝統を作っては壊し、新しいことに挑戦してきた。原点回帰ではなく常に進化を求める文化は、早大だけでなく日本代表にも影響を与えてきたことは間違いない。【佐々木隆史】

◆早大ラグビー部 1918年(大7)11月7日に創部。優勝は関東大学対抗戦23度、大学選手権15度、日本選手権4度。87年対抗戦での明大との「雪の早明戦」は名勝負として今も語り継がれる。大学選手権優勝時などに歌う「荒ぶる」が現役生の目標。主なOBは元日本代表の堀越正己、五郎丸歩、現日本代表候補の布巻峻介(パナソニック)、山中亮平(神戸製鋼)ら。

◆W杯の日本代表に選出された早大出身選手 栗原誠治、吉野俊郎、堀越正己、増保輝則、今泉清、辻高志、佐々木隆道、青木佑輔、矢富勇毅、今村雄太、畠山健介、藤田慶和、五郎丸歩

81年12月、早大・大西監督はスタンドで観戦する
81年12月、早大・大西監督はスタンドで観戦する

ラグビーW杯日本大会開幕は9月20日。いよいよカウントダウンに入ります。日刊スポーツ新聞社では開幕まで1年間。「ラグビーW杯がやってくる」と題して連載します。会場、選手のこだわり等、あらゆる角度から1年間、ラグビーを掘り下げます。

写真ニュース 一覧

おすすめ情報PR

ツイッター

担当記者のつぶやき

ランキング

記事ランキング

    写真ランキング

      新着コラム一覧