87年に第1回大会が行われたワールドカップ(W杯)は、今回の日本大会が9回目の開催となります。これまでに多くの名勝負、感動シーンが生まれ、ファンの心を熱くしてきました。今週は、ラグビー解説者・村上晃一氏(54)が厳選した、W杯の名場面を紹介します。第1回は世界に衝撃が走った「ジョン・カーワンの90メートル独走トライ」です。

 ◇  ◇  ◇

ラグビーファンの記憶に刻まれる「歴史的トライ」は数多くある。しかし、ラグビーW杯史を語る上で欠かせないトライを、1つだけ挙げるなら、これだろう。

1980年代、日本ラグビーは黄金時代だった。12月第1日曜日の早明戦、成人の日(1月15日)に行われる日本選手権などの人気カードは、常に6万人超の大観衆が国立競技場の観客席を埋め尽くした。しかし、世界のラグビーに目を向ける人は少なかった。現在のようにテレビやインターネットで海外のラグビー映像を見ることができなかったからだ。

ラグビーW杯が始まったのは87年のことである。16チームが参加し、ニュージーランド(NZ)、オーストラリアの2カ国にまたがって開催された。日本ではNHKとTBSが地上波で放送。世界最高峰のラグビーを見られることをファンは心待ちにしていた。

待望の開幕戦は、5月22日、NZオークランドで行われた。世界最強を誇ったNZ代表オールブラックスとイタリア代表の試合は、前半を終えて、17-3とNZがリード。後半、イタリアボールのキックオフから衝撃のトライが生まれる。

NZ陣深く蹴られたボールをキャッチしたSHデヴィッド・カークからボールはSOグラント・フォックス、そして、WTBジョン・カーワンへ。身長190センチ、体重90キロの体格でオールブラックス随一の俊足を誇る22歳の若者は、「怪物ウイング」と呼ばれた能力を全開にする。

自陣ゴールラインを背に約10メートルのところでボールを受けたカーワンは最初のタックラーを左手でたたき落とすと、「トライまでのスペースが見えた」と、芝生を力強く蹴りながら一気に加速。7人、8人とタックラーを置き去りにして最後は相手FBとの1対1を軽やかなステップワークでかわし、約90メートルを駆け抜けるトライを挙げたのだ。

大きなサイズでスピードを落とさず走り抜けたカーワンは、世界中のラグビーファンに新時代の幕開けを印象付け、ラグビーの面白さを世界にアピールした。

オールブラックスは順当に勝ち進み、決勝戦でもフランス代表を29-9で破り、初代世界王者となった。カーワンは6トライを挙げ、チームメートのクレイグ・グリーンとともにトライ王に輝いている。

ポジションに関係なく、フィールドを縦横無尽に駆け回るオールブラックスのプレーも観客を魅了。同年9月に来日し、日本にも多くのファンを作った。

11年、ラグビーW杯ニュージーランド大会の出発前会見で、抱負を語る日本代表カーワンHC
11年、ラグビーW杯ニュージーランド大会の出発前会見で、抱負を語る日本代表カーワンHC

カーワンはオールブラックスで63キャップを獲得し、日本のNECでもプレーした。1999年の引退後は、指導者となってイタリア代表などを率い、2007年1月に日本代表ヘッドコーチに就任。07年、11年のラグビーW杯で日本代表の指揮を執っている。

衝撃のトライから32年の歳月が流れた。W杯は日本大会で9回目という歴史を重ねてきた。しかし、あれ以上の個人技によるトライは生まれていない。

◆村上晃一(むらかみ・こういち)1965年(昭40)3月1日、京都市生まれ。10歳でラグビーを始め、京都・鴨沂高、大阪体育大学でプレー。現役時代のポジションはCTB、FB。卒業後にベースボール・マガジン社に入社し、「ラグビーマガジン」編集長などを歴任。98年に退社し、その後はフリーとして活動。J SPORTSのラグビー解説も務めている。