多くのアスリートが目標とする五輪出場-。夢をかなえて大舞台に立った「オリンピアン」は、日本が初参加した1912年ストックホルム大会から夏冬合わせて4347人いる。故郷や母校の声援を背に世界と戦った日本代表の名鑑が日本オリンピック委員会(JOC)などの協力で出版文化社から発売された。企画したのは「フォート・キシモト」。同社顧問の松原茂章氏(64)に聞いた。


日本代表選手数
日本代表選手数

 構想10年、製作2年-。松原氏は完成した名鑑を手に笑った。「大変でした。最近の選手はデータがあるけれど、戦前となると難しいですから」。特に、女性は結婚して名字が変わっている場合も多い。「男性でも変わっている選手がいますから」。東京・渋谷の岸記念体育会館内にある資料室や各競技団体に残る古い資料などをチェック、詳しい関係者にもあたり、何とか全選手にたどり着いた。

 きっかけは、元文科相でナショナルデジタルアーカイブ構想実現に奔走していた馳浩衆院議員との会話だった。「昔のオリンピアンのことを、デジタルで残したいんです」と話すと「お願いします。ぜひ、やってください」。84年ロサンゼルス大会レスリング日本代表選手の思いに動かされた。

 もともと、世界有数のスポーツ写真エージェンシーである「フォート・キシモト」で古い写真の整理をしていた際、詳細の分からない選手がいた。競技成績や所属、出身地などを調べるうちに、整理して残す必要性を意識した。「写真のアーカイブを残すのと同じ。2020年の東京五輪の前に整理したかった」と松原氏は話した。

 日本オリンピック委員会や各競技団体などスポーツ界は、古い資料を残すことを不得手としている。「資料はあっても、どこにあるか分からない。特に戦前の資料はなかった」と松原氏。残っているのは、団体ではなく個人が趣味として取り組んでいるものも多い。それを集めて、まとめるのが大変だった。

 複数大会出場者がいるため、オリンピアンの数は夏季3444人、冬季907人。夏冬出場選手が4人で、日本の総オリンピアン数は4347人になる。「出場するだけでも大変なこと。メダルがなくても、すばらしい選手はたくさんいる。若い選手にも昔のことを知ってほしい。強化も大切だけれど、歴史を知り、つないでいくことも大事」と話した。

 選手の項目には名前と生年月日、没年月日、所属、出場種目と競技成績などが掲載されている。ただ、不詳なことも多く、さらなる情報収集が求められる。「これで完成ではないです。今後、五輪が終わるたびに改訂版を出したい。名鑑を持っている人には、安価でアップデートできるような仕組みを考えたい」。選手4347人、役員を含めて6448人。日本の五輪史が、1枚のDVDに詰まっている。【荻島弘一】


「オリンピック全選手・役員名鑑」DVD表紙
「オリンピック全選手・役員名鑑」DVD表紙

<DVDと大会略史>

 ◆日本代表オリンピック全選手・役員名鑑 6448人のデータが入ったDVDと大会略史の分冊がついて定価3万6000円(税抜き)。日本オリンピック委員会、日本オリンピアンズ協会などが協力し、日本体育協会・日本オリンピック委員会100年史を製作した出版文化社から発売された。名鑑データは氏名、出身、生没年月日、参加大会、成績、所属、写真などが掲載されており、氏名、出身、所属で検索できる機能もつく。


DVDに収められている名鑑
DVDに収められている名鑑

<五輪名鑑アラカルト>

 ◆夏冬出場 夏季大会と冬季大会に出場した日本選手は4人。橋本聖子はスピードスケートで冬季4大会に出場、自転車でも夏季3大会に出た。関ナツエ、大菅小百合もスピードスケートと自転車で夏冬五輪に出場。陸上短距離の青戸慎司はボブスレーに転向して夏冬出場を果たした。

 ◆メダリスト 日本が獲得した金、銀、銅のメダルは平昌冬季五輪までで計499個。団体種目では複数いるため、メダリストは計670人になる。

 ◆名字 オリンピアンで最も多い名字は、日本で最も多いといわれる佐藤で80人。2位は53人の田中、3位は52人の鈴木と続く。

 ◆超大物 32年ロサンゼルス、36年ベルリン大会で実施された芸術には、日本からも92人が参加。東山魁夷や棟方志功ら後の世界的な巨匠も「オリンピアン」として名を連ねている。


<モスクワ代表も>

 ◆オリンピアン 五輪出場選手のこと。国際オリンピック委員会(IOC)は出場実績のある選手のみを認めているが、日本オリンピック委員会(JOC)は出場辞退によって「幻の五輪代表」となった80年モスクワ大会代表選手も「オリンピアン」としている。95年にサマランチIOC会長の提唱で世界オリンピアン協会が発足したのを受け、06年には日本のオリンピアンの相互理解と親睦をはかるための日本オリンピアンズ協会が設立された。