54年前の今日、晴れ渡った東京の空の下、アジア初の五輪が開幕した。1964年から2020年へ-。陸上ハンマー投げのレジェンドたちが、2度の五輪をつなぐ。東京大会代表の菅原武男氏(80)、72年ミュンヘン大会などで活躍した室伏重信氏(73)、04年アテネ大会金メダルの室伏広治氏(44)。「3鉄人」が初の対談で2年後の東京大会に期待を寄せた。


ハンマー投げのポーズを取る、左から菅原武男氏、室伏広治氏、室伏重信氏(撮影・鈴木みどり)
ハンマー投げのポーズを取る、左から菅原武男氏、室伏広治氏、室伏重信氏(撮影・鈴木みどり)

-10月10日は前回東京で行われた64年五輪の開会式が行われた記念すべき日ですが、菅原さんはすでに2回目の五輪でした。

菅原 学生時代に出たローマは、とにかく気持ちが入っていた。2度目の東京は地元の重圧がありましたが、やれる自信はあった。ただ、大会前に腰痛がひどくなって6カ月寝たきり。勝ちたい気持ちはあったけれど、花も咲かなければ実もならなかった。

-重信さんは五輪選考会で敗れて、惜しくも出場を逃したんですね。

重信 いや、あのレベルではオリンピックなんか遠かったです。日大の先輩だった菅原さんの姿を見ているだけでしたね。ただ、大会はよく覚えています。

広治 僕は当たり前だけど分からない。生まれていませんから。それでも、父がたくさん撮影したフィルムを残していて、それを見ました。菅原さんの試合も何度も見ました。

-菅原さんは次のメキシコシティー大会で4位。それも3位と同記録でした。東京の経験は生きましたか?

菅原 (2番目の記録差で)4位というのは、日頃の行いが悪かったんでしょうね(笑い)。東京の時、ケガさえなければ海外の選手に負けない自信はつきました。4年は長いけれど、次に頑張ろうという気持ちになれた。夢を与えてくれた大会だったんですね。

重信 日大の(7学年)先輩でしたから、菅原さんとは一緒に練習をしていました。感性が素晴らしく、誰もまねできない投げ方でした。同じ先輩の石田(義久)さんと菅原さんの投てきは海外でも評判で、欧州遠征で2人が投げるとカメラマンが集まりました。

-重信さんにとっても、最高の手本ですね。

重信 同じことをしていても勝てないと思い、菅原さんより長時間練習して多く投げた。ただ、それがいけなかった。大スランプでした。私のハンマーが始まったのは、社会人になってからですね。


室伏広治氏(中央)の五輪メダルを持っておどける菅原武男氏。右は室伏重信氏(撮影・鈴木みどり)
室伏広治氏(中央)の五輪メダルを持っておどける菅原武男氏。右は室伏重信氏(撮影・鈴木みどり)

-菅原さんは世界で初めて4回転を完成させたことでも知られていますが。

菅原 結局は工夫。独自の投げ方を見つけることですね。練習をしていても、必ず壁に当たる。ただ練習しても壁は破れない。重信くんが(日大に)入ってきた時、大きいなと思いましたね。でも、自分は小さいから、工夫しないと。8年かかりました。

重信 スポーツ選手は陶芸家と同じなんです。いい作品を作らないと。もちろん、指導者は大事です。ただ、その指導をどう受け、自分で考えるか。自分の発想で考えたものを体で表現すること。菅原さんや岡本(登)さん、海外の選手の動きも参考にしました。

広治 僕も父が撮ってくれるフィルムを見て、自分で考えました。ハンマーって、砲丸や円盤と違うんです。重りと自分をつなぐワイヤがある。日本人と外国人の力の差を埋めるチャンスが、ここにある。埋めるものが技術なんです。

-技術の部分が大きいから、競技の楽しさもある。

重信 今の選手はウエートトレーニングをよくやるけれど、それだけではダメなんです。菅原さんはダッシュ、ジャンプもすごかった。だから、高校3年でハンマーを始めて、たった3年でオリンピックに出られたんです。ただ力の競技ではない。頭の競技です。

広治 15年前、菅原さんにお会いした時、忘れられない言葉があるんです。

菅原 菅原さんのマネはできません、って言われましたよ(笑い)。それが進歩なんです。まねするだけではなく、自分のものを作り上げる。強くなるなと思いましたね。

広治 いや、それもそうかもしれないけれど、菅原さんに言われたのは「ハンマー投げ以外のことを考えることも大事」。趣味で盆栽をなさっていると聞きました。世の中には、ヒントになることは数多くある。それが、その後の競技生活の参考になりましたね。


-2度目の東京五輪が迫っていますが、みなさんは何を期待しますか。

菅原 やはり陸上競技、ハンマー投げは生で見たいですね。日本選手は苦しいかもしれないけれど、子どもたちが競技を見て、聞いて、ハンマーを触って、魅力を知ってほしい。体験してほしい。そうなれば、将来が楽しみになる。東京大会がきっかけになります。

重信 暑さ対策など、いろいろ大変な問題はある。8月の陸上競技は、かなり厳しいでしょう。何とか無事に終わってほしい。もちろん、ハンマーは見たいですよ。子どもたちが、やってみたいという気持ちになってくれれば。東京が次の大会に結びつくような大会になることを期待します。

-広治さんは組織委員会で競技部門の責任者であるスポーツディレクターという要職にありますが。

広治 64年大会と比べると、サーフィンやスケートボード、クライミングなど新しいスポーツが入って、だいぶ変わってきている。陸上、水泳、体操など伝統的な競技でも、選手が頑張っている。伝統的なスポーツと新しいスポーツ、相乗効果で楽しいオリンピックにしたいと思いますね。

-菅原さん、重信さんからつながれたハンマーを、2年後の東京大会にもぜひ生かしてください。

広治 東京大会がなかったら、この3人で会うこともなかった。オリンピックには交流、人を結びつける力がある。国籍や言葉、年齢などの壁を乗り越え、新しい感覚で人と人が結びつく。日本にとって、東京オリンピック・パラリンピックは大きなチャンスだと思っています。

■広治氏以来「後継」不在

日本勢ハンマー投げは室伏広治氏以来、選手が育っていないのが現状だ。男子は15年から世界選手権、五輪、アジア大会の国際大会に選手すら輩出できていない。今年の日本選手権を自己新で制した墨訓熙(24=小林クリエイト)の記録は70メートル63。日本陸連が定めたアジア大会の参加ラインとなる71メートル88に1メートル以上届かなかった。女子はジャカルタ・アジア大会で勝山眸美(24=オリコ)が銅メダル、渡辺茜(27=丸和運輸機関)が4位。ただ五輪と世界選手権は11年世界選手権を最後に遠ざかっている。