テレビ朝日で、東京オリンピック(五輪)のメインキャスターを9大会連続で務める松岡修造(53)。世界的なコロナ禍の中で迎える東京大会をテレビは、そして松岡はどう伝えるのか。今だからこそ、五輪を通して伝えなければならない「何か」がある。それを見つけ出すことが自身の役目だと語った。また、今大会では初めて民放テレビが日替わりで担当局を決め、集中的に放送する。【取材・構成=三須佳夏】

テレビ朝日の五輪メインキャスターとして、レンズ越しにメッセージを伝える松岡修造(撮影・横山健太)
テレビ朝日の五輪メインキャスターとして、レンズ越しにメッセージを伝える松岡修造(撮影・横山健太)

■理想を言えば

「五輪延期が決まって、自分の中で心が乱れました。何もできないもどかしい思いと、『オリンピックをやるべきだ』って言えなかったこの1年。『自分は何ができるのか』と自問自答し続けた1年でした」

昨年開催されるはずだった東京五輪が新型コロナウイルスの影響で延期に。これまでの期間は選手にとっても厳しいものだった。

「人って目標があるから頑張ることが出来ると思うんです。大会があるかどうか分からない。そんな状況で、モチベーションを保ちながら頑張るというのは簡単なことじゃない。だから、選手たちは開催されると信じているんだと思うんです。先行きの見えない不安の中で、何かを“信じる”ってものすごく難しいこと。でも大会が本当に開催された時には“感謝”に変わると思うんです。選手たちの『ありがとう』という言葉がどんどん大きくなってくるような『ありがとうオリンピック』になると思う」

世界中で1億7300万人以上が感染し、400万人以上の死者が出ているコロナ禍での東京五輪。国内世論も開催への賛否が割れる中、誰もが経験したことのない状況下での開催になる。

「初めてだからどんなオリンピックになるのか分かる人は1人もいないと思う。だから理想を言います。『つながるオリンピック』になって欲しいって思っています。応援を通して、みんなの思いがつながっていった時に、今までにない力になるんだろうなっていう気がしています」

■伝えてもらう

これまでは「伝える」立場で五輪と関わったが、今回は「伝える」だけではなく、反対の「伝えてもらう」側にもなる。

「もちろん、今回も『日本』を世界に伝えることに変わりはありませんが、前回までと違うのは、世界の人たちも『日本』を伝えるということ。勝ち負けだけではなく、日本の人たちは選手をどのように応援し、東京大会をどのようにサポートしていくのか。純粋に、日本とはどんな国で日本人はどんな考えを持っているのか。そういうところを世界中の人が見ている。だから日本の文化や人を伝えていくことが大切だと思います」

13年9月の招致プレゼンテーションで滝川クリステルが使った“お・も・て・な・し”。その内容にも世界が注目している。

「気持ちを合わせて、おもてなしをするということ。“おもてなしのオリンピック”と日本が伝えた、その思いが世界に通じた時には、日本にしかできなかったオリンピックになると思う」

東京五輪について語る松岡修造(撮影・横山健太)
東京五輪について語る松岡修造(撮影・横山健太)

■感じる大会に

無観客開催の可能性も浮上する中、開催がどんな形であれ、とにかく受け入れることが大切だと指摘する。

「参加選手が少なくなったり、平等にしようと思っていても、不平等に感じることは間違いなく出てくる。でも受け止めなきゃいけない。こんな不安なオリンピックは今までありません。でも、だから、みんな本気になるのだと思います。そういう思いが重なった時に、1つの形として何かが見えたり、何かを感じることができる。今回は見て喜ぶというより感じるオリンピックになると思います」

テレビキャスターとして心がけていること。それは開催を信じ、競技に取り組んできた選手の苦しさやたどり着いた場所の雰囲気を伝えることだという。

「僕にはそのメッセージを聞く役割があります。そして、オリンピックは何のために開催されるのか。その答えを拾って伝えていきたい」

開幕は44日後に迫っている。


◆松岡修造(まつおか・しゅうぞう)1967年(昭42)11月6日生まれ。東京都出身。中1で全日本ジュニア選手権14歳以下で優勝。高2で高校総体の単・複・団体で3冠。現役時代の4大大会での最高成績はウィンブルドン8強。世界ランクの自己最高はシングルス46位。五輪は88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタに3大会連続出場。日本オリンピック委員会(JOC)から12年ロンドン、16年リオデジャネイロ、18年冬季平昌に続き、20年東京五輪の日本代表選手団公式応援団長に任命されている。男子トップジュニア選手を育成する「修造チャレンジ」を開催。


<五輪とテレビの進化>

▼ベルリン大会(36年) 五輪初のテレビ放送。ドイツ・ベルリン周辺のみで放送

▼ローマ大会(60年) 21の国・地域で放送。欧州18カ国で五輪初の生中継を実施

▼東京大会(64年) 40の国・地域で放送。衛星放送、カラー放送、マラソン中継、スローモーション映像によるリプレーなどさまざまな五輪初の技術が誕生。開会式の視聴率はNHK総合で61・2%を記録(関東地区、ビデオリサーチ調べ)

▼モントリオール大会(76年) 124の国・地域で放送

▼ロサンゼルス大会(84年) NHKと民放でチームを結成。全局で五輪を中継する体制に

▼ソウル大会(88年) NHKが初のハイビジョン生中継を実施

▼アトランタ大会(96年) 214の国・地域で放送

▼北京大会(08年) 民放局による五輪競技動画配信サイト「gorin.jp」立ち上げ

▼ロンドン大会(12年) 8Kスーパーハイビジョンによるパブリックビューイングを実施

▼リオ大会(16年) 米NBCがVR映像を初配信

▼東京大会(21年) 東京五輪では、民放5局がスクラムを組んで初の「ワンチーム放送」を実施する。自国開催で「史上最大規模のオリンピック放送」を看板に掲げるNHKに民放各局が連携して対抗するものだ。

昨年の発表では、開会2日目から閉会前日までの間に日替わりで担当局を決定。原則として朝から深夜まで録画も含めて競技を集中的に放送する。集中放送日ではない局は自主的に五輪中継を減らすなどして担当局を好フォローする予定で、チャンネルを変えずに競技が楽しめる。

一方で民放局が5系列ない地方は過去の五輪と同様、一部競技は視聴できないという課題も残る。