1972年札幌冬季五輪(オリンピック)スキー・ジャンプ金メダリストの笠谷幸生(かさや・ゆきおさん)が23日、亡くなった。日本スキー連盟(SAJ)が26日に「2024年4月23日(火)、ご逝去されました」と発表した。

続けて「笠谷様は1972年札幌オリンピックにおいて金メダルを獲得するなど選手としても一線で活躍されたのと同時に、本連盟の役員としても競技力強化・普及にご尽力され、最期まで重責を背負っていただきました。ここに生前のご厚誼(こうぎ)を深く感謝しご冥福をお祈りいたします。なお、葬儀は近親者のみで執り行っております」と悼んだ。

笠谷さんは23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去。80歳だった。北海道出身。後日お別れの会を開くという。

日本に冬季五輪初の金メダルをもたらした札幌五輪70メートル級は、2位の故金野昭次、3位の故青地清二とで表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本中を沸かせた。

同連盟の勝木紀昭会長は「皆さんご存じの通り、1972 年の札幌オリンピックの金メダリストであります。当時、私も宮の森ジャンプ競技場でこの歴史的瞬間に立ち会いました。今でも鮮明に記憶しています。この出来事は、日本のスキー界に大きな影響を与えたことはもちろん、現在の日本のジャンプ選手の快進撃の幕開けだったと思います。選手時代のご活躍はもちろん、選手引退後は指導者の道に進み、本連盟の理事、競技本部長を務められ、多くの優秀な選手を育成しました。笠谷さんのご功績は、日本スキー界の代えがたい宝であります。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と悼み、功績をたたえた。