東京オリンピック(五輪)・パラリンピック招致の先頭に立った元東京都知事の猪瀬直樹氏(74)が、開幕直前の思いを明かした。12年12月の都知事就任から、13年9月にはアルゼンチン・ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催都市に正式決定。だが、7年が過ぎ、新型コロナウイルス感染症拡大による1年延期に加え、無観客も含めた観客数制限の調整が進む。「東京2020」の開催意義をあらためて語った。【取材・構成=鎌田直秀】
■亡き妻とつかんだ勝利
2013年9月7日。猪瀬氏は、開催都市が「TOKYO」と発表された瞬間を思い出すと「重圧から解放されてホッとした」。安倍晋三前首相、滝川クリステル氏ら招致活動を闘ってきた仲間が喜びを体で表現した一方、安堵(あんど)から1人だけ脱力状態だった。
「北島康介のように金メダルを取ることが期待されたトップアスリートの心境でした。招致にも銀、銅もなかった。金を取れなかったらどうなるのか…と。失敗出来ないと思ったら、前夜はなかなか眠れなかった。持参していた日本酒の八海山を、1杯、もう1杯、また1杯。警備の人と2人になったので、まあまあと一緒に1杯。よく眠って朝を迎えました」
都知事として招致成功へ、必死だった。活動途中の13年5月に妻ゆり子さんの悪性脳腫瘍が発覚し余命宣告されても、7月のスイスでのプレゼンテーションを優先した。太田雄貴氏や滝川氏らに動揺を与えてはいけないと、容体は明かさなかった。危篤状態の妻は帰国するのを待つように死去。同9月の最終決戦の日は四十九日。ペンダントに入れた妻の写真を握り締めながら勝利もつかんだ。
「88年ソウル五輪招致では名古屋が落選し、愛知県知事が非難されて自殺。08年北京五輪では大阪が落選。そのごたごた後に橋下徹知事の登場になった。16年リオデジャネイロ五輪では東京が1度落選しており、今回は2度目の挑戦。予算も前回より半分に削られ絶体絶命だった。12年ロンドン五輪は逆転サヨナラヒットみたいな感じで有力視されていたパリが負けたので、次(24年)は事実上決まっていた。だから20年開催は最後のチャンスで、逃したらもう東京五輪というか日本での五輪は諦めるしかない。リーマン・ショック、東日本大震災で日本は閉塞(へいそく)感に覆われていたから是が非でも勝たねばなりませんでした」
■情報開示の不徹底が「誤解」に
招致成功後、組織委員会の立ち上げを日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長と練った。予算が膨らまないようガバナンスをしっかりさせなければいけないと、会長にふさわしい人物としてコスト意識が強いトヨタ自動車名誉会長で日本体育協会会長(いずれも当時)の張富士夫氏に打診し、内諾を得た。だが、組織委会長は自分だとばかりに、森喜朗元首相から猛烈な巻き返しが始まったという。
3カ月後の13年12月、徳洲会からの借入金の記載漏れ問題で辞任。直後に森組織委体制となり、新国立競技場建設費3000億円など経費が増大。そして20年を迎えてパンデミック。コロナ禍での開催に国民の理解が得られない背景の1つに、組織委、東京都、政府などの情報開示不徹底を挙げた。
「森体制で情報公開をしない体質に変わってしまった。金の問題や、女性蔑視の問題もあったところにコロナが襲ってきたこともあるとは思うが、なぜ五輪をやるのかという意義も伝えてこなかった。私が都知事の時は説明というか、そこをアピールしてきた。五輪開催をきっかけに都民、国民がスポーツに親しみ、10年間の差がある健康寿命と平均寿命の差を縮めること。それだけではないが、いまだに国立競技場の聖火台がどこに出来るかも国民に伝えられていない。情報が開示されないから『なんでコロナで大変な時期に、こんな金がかかるイベントをやるんだ』との国民の気持ちも理解は出来る。SNSでは『猪瀬はなんで五輪を招致したんだ』なんて批判の声も聞こえています。明確な理由はあるのですが、森会長が何も発信していなかったことによる誤解が大きい」
招致時から、もう1つ重要視したことがパラリンピックの成功だった。64年東京大会で初開催されたパラ競技。12年ロンドン大会で満席だったことに感銘を受けた。パラ競技普及は先進国での2度目開催の役目でもあった。
「日本もパラリンピックでも(観客上限の範囲内で)客をいっぱいにしないといけない。ロンドンでそう感じた。それによって障がい者がきちんと生きていける社会がさらに形成されていくと思う」
■やる、やらないのメリハリ
現在、五輪開催への強い国民支持率は得られていない。それでもコロナの状況を踏まえて、今年6月下旬には国内のみで1万人を上限にした有観客開催に決定。競泳の池江璃花子が白血病からの競技復帰、体操の内村航平の4大会連続五輪切符獲得、陸上100メートルでも山県亮太が9秒95の日本新記録樹立。スポーツの感動や力を感じるニュースも続き、対策を講じた上で、可能な範囲の開催に賛同する声も増えつつはある。
「山県選手の9秒95はNHKの午後7時のニュースでもトップだった。それくらい五輪に関心はあると思う。五輪には関係ないけれどメジャーリーグ大谷翔平選手がホームランを放つと、私も元気になる。親戚でも同じ高校でもないのに応援してしまう。それこそが健全なナショナリズムであり、国民国家における祭典。数多くの方が、家から出られなかったり、経済的に窮屈になってフラストレーションがたまっている。『なんでお祭り騒ぎしているんだよ』という気持ちにもなるかとは思いますが、だからこそオリンピックで元気を出そうよということなんです」
昨年春以降のコロナウイルス感染症拡大により、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が続いてきた。もう1年延期を、などの意見も出ている。猪瀬氏は、小池百合子都知事や政府の政策を全面否定するつもりはないが、私見も述べた。
「私ならこうしていたというものはある。外出自粛とはいっても、欧州などのように刑事罰がある外出禁止令がないと効果にはつながりにくい。有事立法が必要だったと思う。批判を恐れて出来なかったのかなあと思うけれど、駐車違反などだって罰金や点数が減っちゃうから守る部分もある。やる、やらないのメリハリが弱かった。ワクチンに関しては、あと2カ月早く進められていたら、かなり状況は変わっていたはず。(最初の対象も)高齢者と医療や福祉の従事者は当然ですが、それ以外は全国一律ではなく、東京都民と大阪府民から徹底的にやれば良かった。消火器だって火元にノズルを向ける。一律にまいても仕方がない。専門家の方もそういう戦略を政府に提言すべきでした」
さらなる延期、中止に踏み切る決断は、なかなか難しい状況もある。
「フェンシングの太田雄貴君は競技の裾野は5000人くらいしかいないと言っていた。五輪で活躍することでしか、知名度や認知度が高まらない競技もあることは事実。(今回の新競技)ボルダリングなどもそうだし、たくさんある。競技としてのスポンサー獲得も含め、競技人口増加や発展に直結するのが五輪の舞台。サッカーはJリーグがあるし、テニスも4大大会があるので、プロがある競技とは、考え方を変えてあげないといけない」
■IOCと国民に認識のズレ
コロナだけをみても、世界と日本の感覚の差もある。猪瀬氏はIOCの五輪を開催していく認識と、日本国民の認識との間にズレがあると感じている。
「人口100万人当たりの7日間の新規感染者数は日本が約120人。フランス720人、英国600人、米国は320人、ドイツ210人。英国ではテニスのウィンブルドンをやりましたし、『なんで東京で出来ない?』『工夫や努力はしないのですか?』という意見も出る。選ばれた責任もある。IOCとしては、NBC(米国)の放映権料などの金銭面だけでない、歴史もある。中止にしたのは第1次、第2次の世界大戦があった2度だけ。局地紛争やテロは茶飯事でした。世界の約70億人中、40億人くらいがテレビを見る世界最大の祭典であることも事実。IOCは16年リオ五輪時に、候補の1つだったシカゴを出身のオバマ大統領参戦でも落選させた。大統領よりIOCのほうが上の関係性。(1896年アテネ五輪から)100年以上、4年に1度の実施を継続してきたことは、それだけ強い意志を持ちやっている部分もある。2年延期は論外。1年なら日本でいう年度内のような誤差の範囲ですけれど。選手のピークも考えると選考もやり直しになってしまう」
猪瀬氏自身も五輪開催の意義の1つである、スポーツで健康寿命を延ばすことを体現している。糖尿病の予兆を告げられた10年前から毎月50キロのランニングや週1回のテニスを継続。ズボンの裾をまくって披露した筋肉質なふくらはぎが、五輪招致に尽力してきた決意の証しでもある。
◆猪瀬直樹(いのせ・なおき)1946年(昭21)11月20日生まれ、長野県出身。全共闘世代。ナショナリズム研究の第一人者、橋川文三教授に学ぶためフリーライターをしながら明大大学院にも通った。東大客員教授、東工大特任教授などを歴任。01年小泉内閣で道路公団民営化委員。07年東京都副知事、12年に都知事。13年辞任後は、15年より大阪府・大阪市特別顧問。作家としては87年「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近書は「昭和16年夏の敗戦」の完結編となる「昭和23年冬の暗号」。現妻は画家で女優の蜷川有紀。血液型AB。
<猪瀬氏と東京五輪>
◆07年6月 石原慎太郎都知事からの特命を受けて副知事に就任。
◆12年12月 史上最多433万8936票を獲得して都知事に就任。
◆13年1月 ロンドンでの招致イベントで「東京では選手、観客にユニークで忘れられない経験を味わうことが出来る」とアピール。東京電力福島第1原発事故を懸念する外国人記者の質問には「現在の東京の放射線量はロンドンと変わりません」と客観的に説明。
◆同3月 来日したIOC評価委員会クレイグ・リーディー委員長の視察中、皇太子殿下への表敬訪問を実現。東宮御所までの道のりを長くするため、正面ではなく違う入り口から入り御所庭園を披露する工夫も。テニスでパラリンピック金メダリスト国枝慎吾とのラリーも披露。
◆同4月 ニューヨークで市営地下鉄に乗り24時間運行を視察。講演では「都営バスを24時間運行したい。東京にはおもてなしの心がある」と発言。
◆同5月 ロシア・サンクトペテルブルクで招致プレゼンテーションに参加し「東京は世界で最も安全な街」とPR。
◆同7月 スイス・ローザンヌでIOC委員に日本の文化と魅力をアピール。「(マラソンでいえば)30キロを超えた」。ゆり子夫人の入院を周囲に明かさずに渡欧。
◆同9月 アルゼンチン・ブエノスアイレスでの最終プレゼンの壇上に立ち「東京はダイナミックでありながら安全な都市」と英語で訴えた。滝川クリステル氏の「お・も・て・な・し」も有名となり、五輪開催をつかみとった。高円宮妃久子さまら皇室参加にも尽力。











