その名を「三宅道場」。1964年東京オリンピック(五輪)の重量挙げ金メダリスト、三宅義信さん(81)が手掛けた施設が、福島県郡山市の田園風景の中にある。温泉施設に隣接した専用練習場で、1度に10カ所を使用できる場所は民間では他にない。所属先を問わずに、有志の合宿などを組んで後輩を育ててきた東京五輪への拠点は、64年東京五輪の体験談ともつながっていた。

三宅義信氏(14年10月撮影)
三宅義信氏(14年10月撮影)

■新幹線駅から車で30分到着

東北の玄関口、郡山駅から西へ車で約30分。のどかな田園が広がり、山々の木々が迫ってくる。

「あそこは世界一の場所だから」。三宅さんがそう自負する「虎の穴」は、「ウエイトリフティング 三宅道場」の看板を掲げて、のどかな風景の中に構えていた。

「三宅道場」の看板
「三宅道場」の看板
 
 

約230平方メートルの室内に、重量挙げができるプラットフォームが10カ所。最新器具も備え、いくらでも鍛錬に没頭できる。都内のナショナルトレーニングセンター(NTC)にも同規模の練習場はあるが、ここにしかないものがある。

「温泉ですよ。疲労回復が早いんです。なんとなく気分が優れてくる。るんるんになる」

のんびり温泉の大露天風呂
のんびり温泉の大露天風呂

施設は宿泊もできる「のんびり温泉」の敷地内に設置されている。泉質はナトリウム硫酸塩で、漢方でも治療薬として使われるほど内臓機能の活性化に効果的。疲労回復と同時に血液の循環を促進させ、肩こりや冷え性などの症状も緩和されるとある。安積平野を見渡せるパノラマ大露天風呂、サウナも備える。練習の汗を流すのは温泉で-。そんな環境は他にはない。

施設のオーナーとの縁で、もともとは農耕機具を置くバラック小屋だった場所を提供してもらったのが始まり。東京五輪の開催が決定すると、「五輪仕様」に改築するために、小屋を壊して新たに建物を作った。14年10月のことだった。

「温泉はね、自分も現役時代に経験があるんだよ」。東京大会へ向けて作られた施設には、自身の東京大会の体験談が色濃く反映されている。60年ローマ五輪で競技では日本人初の銀メダル。その後も世界記録を数々更新し、母国五輪では金メダルの大本命だった。

■コロナ影響で現在は休業中

「あなたたち新聞社がどこまでも追ってくるからさ」と懐かしむ。対策は「雲隠れ」だった。長野県軽井沢にある「上皇ご夫妻思い出のテニスコートの倉庫」を借りて、外部を遮断し、選手村に入村するまでの10日間を過ごした。重要な最終調整の場で、癒やしとなったのが温泉だった。「塩壺温泉に通ったね」。効果はてきめん。本番では全競技を通じて金メダル第1号となり、日本選手団に勢いを付けた。

18年12月、八木を指導する三宅さん(左)
18年12月、八木を指導する三宅さん(左)

「のんびり温泉」併設の三宅道場も、「歩いては町までいけない」立地にある。だからこそ、練習に打ち込める。ログハウスに泊まり、食事はNTCを訪れて参考にしたメニューを提供してくれる。「食事も申し分ないし、ログハウスで3、4人で共同生活することも、1人っ子が多いいまの世の中では学ぶことが多い」とする。

めいの三宅宏実を筆頭に、多くのトップ選手が垣根を越えて集まってきた。年越し合宿が恒例で、時にはイノシシ鍋をつつきながらの「重量挙げ談議」にも花が咲いた。17年世界選手権銀の糸数陽一は「最高ですよ。温泉で疲れを取って、競技に打ち込める」と環境に感謝する。義信さんから的確な助言を受け、各リフターが切磋琢磨(せっさたくま)してきた。

18年、「三宅道場」で練習する糸数(手前)と八木
18年、「三宅道場」で練習する糸数(手前)と八木

本来であれば、五輪直前でも施設を使用したかったが、コロナ禍で現在は温泉施設が休業を余儀なくされている。日本代表陣の最終仕上げはNTCで予定されるが、郡山で鍛えた日々は血肉となって選手を支えるだろう。【阿部健吾】

◆三宅宏実 年に1回以上は利用させてもらってました。練習に集中できる環境で、温泉で疲労回復もでき、地元の皆さまとも交流できる場所です。思い入れ深いです。

▼東京五輪の日本代表は6月に決定する。18年11月から21年5月までの国際大会の成績で、各国の出場枠が決まり、日本は開催国枠として3枠を確保している。日本協会の定めた基準で、世界ランク3位に近い記録を持つ選手が男女で選ばれ、5大会連続出場となる三宅宏実、安藤美希子、糸数陽一らが候補になる。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

重量挙げのメダリスト
重量挙げのメダリスト