日刊スポーツの競馬面で海外競馬に関するコラム(毎週水曜連載「ワールドホースレーシング」)を書いて、30年以上になります。競馬の世界では今年、皐月賞、ダービーを無敗で制したコントレイルという強い馬が登場しました。前回の東京オリンピック(五輪)が行われた1964年(昭39)は戦後初の3冠馬シンザンが登場した年。そういう巡り合わせがあるのかもしれません。

私自身は北海道小樽市で生まれ、幼い頃に東京へ引っ越してきました。前回の東京五輪が行われたときは神田にある千代田区立芳林小学校(現昌平小学校)の3年生。すごく覚えているのが、教室にテレビが設置されたこと、それから、アメリカ国歌を歌う練習をしたことですね。五輪が行われるということで、ニューヨークの小学校と提携したんです。それで、その小学校の校長先生が私たちの学校へやってくる、アメリカ国歌を歌って喜ばせてあげましょう、と担任の先生が…。当時は何も分からないまま、授業中に「オー、セイキャンユー、シー」とみんなで歌いました。

かつてはアマチュア同士が世界一を競うのが五輪だったと思います。どの競技もプロ化し、競技数も多くなり、ルールが複雑化しました。もちろん、馬術競技は日本チームの健闘を期待したいのですが、海外の強豪国は日本へすごい馬たちを連れてきますからね。

この仕事(ターフライター)を始めた頃は、外国へ競馬の取材で行ったとき、写真1枚を送るのに大変な思いをしていました。また、海外からファクスでレース結果を教えてもらっても、そのレース映像を見ることが容易ではありませんでした。今のようにパソコン、スマートフォンですぐにデータを送ることができる時代ではありません。前回の東京五輪、海外からやってきたジャーナリストたちはどのように自国へ記事や写真を送り、世界中へどのように伝えてくれたのでしょうか。そう思います。(307人目)