中央競馬で調教師をしています。私自身は馬術競技の経験がなく、オリンピック(五輪)競技との縁はないのですが、東京五輪には縁がありました。

私が競馬と出合ったのは子どもの頃。馬主だった祖父(78年の年度代表馬カネミノブなどを所有していた金指吉昭氏)の影響です。祖父の所有していたカネケヤキという牝馬が64年に桜花賞、オークスの牝馬クラシックを勝っていて、この年が前回の東京五輪の年でした。ご年配のファンの方ならご存じだと思いますが、64年はシンザンが皐月賞、ダービー、菊花賞を勝った年になります。当時は現在の秋華賞、その前身のエリザベス女王杯やヴィクトリアカップというレースもなく、「牝馬3冠」というものがなかった時代。春の桜花賞、オークスを勝ったカネケヤキは菊花賞に出走し、大逃げを打って、5着に頑張ったと聞きました。

私は62年生まれなので、64年のレースはリアルタイムで見ていないのですが、青森に祖父の所有する牧場があり、そこで現役を引退し、母になった彼女と会い、「この馬がカネケヤキだ」と感動したことを覚えています。34歳まで長生きしたことでも知られている牝馬です。昨年は牡馬のコントレイル、牝馬のデアリングタクトという2頭の3冠馬が誕生しましたが、前回の東京五輪が行われた64年は皐月賞、ダービーを勝ったシンザンと桜花賞、オークスを勝ったカネケヤキが菊花賞で激突した歴史的な年だったのだと思います。

調教師になってから一昨年、初めて管理馬で海外へ遠征させてもらいました。ウインブライトという馬で香港へ行き、4月のクイーンエリザベスS、12月の香港カップというG1競走を勝つことができました。現地の主催者が国旗を掲揚してくれて、表彰式の前には君が代が流れました。競馬の遠征の場合は五輪のように国から選ばれた選手団というわけではないですが、身に着けるものに日の丸をデザインさせてもらって、国を代表する気持ちで行きましたし、とても誇らしい気持ちになりました。大学生のとき、東京競馬場(府中市)の近くに下宿していて、第1回ジャパンC(81年)で来日した外国の馬や人を見たときにワクワクした気持ちは今も忘れません。オリンピック、パラリンピックに出場する選手たちの健闘を期待しています。(337人目)