3月末で中学から続いた選手生活を終えることになりました。元々、東京オリンピック(五輪)がある2020年で一区切りと考えていましたが、新型コロナウイルスの影響で五輪が1年延期。ありがたいことに所属の大塚製薬、今年4月からコーチでお世話になる大阪成蹊大は「挑戦するなら応援する」と、背中を押してくれました。

北京、ロンドン、リオデジャネイロときて、4大会連続五輪を目指した東京。1%でも可能性があれば、それに懸けたい気持ちでした。ただ、昨秋の大会は200メートルを過ぎたところで体から力が抜けていった。すごくショックでした。「0%の挑戦は意味がない」と考え、引退を決めました。

カール・ルイス、マイケル・ジョンソン、モーリス・グリーン…。速い選手に対する憧れで陸上を始めました。大阪高校3年時にパスポートを作り、初めて世界選手権に出場しました。2年に1回の舞台を、これまで7度経験できました。

振り返ると自分のこと以上に、他人と喜びを共有した思い出が心に残っています。例えばロンドン五輪代表選考会だった12年日本選手権。僕が400メートルで先に、続いて法政大の後輩だった岸本鷹幸が400メートル障害で優勝しました。その瞬間抱きつきにいって…。自分に対して喜ぶのは、2~3日で飽和してしまうんです。人と分かち合った喜びはずっと残り続けています。

陸上選手としてはもっと自己中心的な方が、結果につながっていたかもしれません。それでも僕は陸上の魅力の1つが、他の選手との関わりだと感じていました。海外の競技会で同じように悩み、同じように練習を頑張ってきた選手と交流することも、財産になりました。自分自身のことだけを考えて競技をしていたら、33歳まで続けられていなかったかもしれません。

今後は「楽しくやろう」ということを軸に、指導者として選手に接しようと考えています。「楽しい」という言葉も単純ではありません。陸上の練習は単調でつらいものです。才能に左右される部分もあり、人の3~4倍頑張っていても結果を出せず、競技を嫌いになっていく選手を見てきました。過程にも必ず大切な意味があります。自分と向き合い、努力することの価値を一緒に見いだしていきたい。人から見たら「それの何が楽しいの?」と言われるかもしれません。僕の人生においてなくてはならない陸上競技で、その「楽しさ」を伝えていきます。(338人目)