スピードスケートから競輪に転向して15年が過ぎましたが、今でもスケート界と五輪には感謝の気持ちしかありません。

五輪出場は、子供の頃からの夢でした。栃木出身の僕は、北海道や長野の人たちとは違い、スケートをやる上で決して恵まれた環境ではなかった。それでも、日本大学に進むと、黒岩敏幸さんという偉大な先輩がいて、1つ上には清水宏保さんというスーパースターがいました。とにかくまねをしていれば強くなれたんです。

当時の日本スケート界は人材の宝庫。日本で代表になれれば、世界でもメダルを狙えるレベルだったんです。だから、世界大会よりも国内予選の方が緊張していたぐらいです。そこを勝ち抜いた時は、世界の扉を開いたという手応えがありましたね。

ソルトレークシティー大会本番は、自分の可能性に期待して臨みました。緊張よりも楽しむ感覚に近かったと思います。2本目の最終コーナーでバランスを崩したのが少し残念でしたが、それも運ですよね。12位という結果でしたが、後悔はありません。五輪の舞台を超える高揚感や満足感は人生でもうないだろうし、そこは自分を磨ける最高の場所でした。

東京大会はコロナ禍の影響で1年延期になりました。五輪は4年に1度という重みがあり、そこに合わせて最高のパフォーマンスをする選手たちのすごさは、人々を感動させることができます。こんな時期だからこそ、開催してしまえば楽しめるはずだし、みんなが1つになれるきっかけにもなると思うんです。競輪界からも脇本雄太君たちが出場します。圧倒的な力を見せてほしいし、世界とどんな戦いをしてくれるのか、今から楽しみにしています。(343人目)