思うような動きができない。そんな歯がゆさが伝わってきた。

バドミントン世界ランキング1位の桃田賢斗選手が1次リーグで敗退した。昨年1月、マレーシアで交通事故に遭い、右目の眼窩(がんか)底骨折と全身打撲の大けがを負った。事故から1年半。まだ万全にはほど遠かったのではないだろうか。

桃田選手の姿を自分に重ねていた。大事故に見舞われたことがある。ソルトレークシティー五輪前年の2001年10月、合宿先カナダ・カルガリーでのこと。車で練習会場に向かう途中で、左折した時、対向車が猛スピードで突っ込んできた。座っていた助手席は完全に大破。たまたま後部座席に逃げ、九死に一生を得たが、その後、深刻な腰痛に苦しんだ。

その後、1カ月間は動けず、寝たきりの状態。だましだまし痛み止めの薬と注射を打ちながら、大会に復帰した。だが、普段できたことができない。見えない糸をたぐり寄せるような思いで、幼少期から培っていた感覚を呼び戻したが、それも限界がある。当然、精神面も不安定になる。「もうだめだ」「逃げたい」との思いを振り切る日々で、周囲に当たってしまうこともあった。結局、心身ともに完璧な状態で本番を迎えることはできず、ソルトレークシティー五輪では(98年)長野五輪に続く男子500メートルの連覇を逃した。

自分は事故の影響だけだったが、今回はコロナ禍も加わる。五輪反対の声も多い中、割り切って集中することは簡単ではない。そんな迷いは、桃田選手にとって、さらに重荷になったろう。事故とコロナ禍で、昨年は8試合しか実戦を積めなかったと聞く。例年90試合程度をこなすだけに、試合勘は戻らない。試合中の桃田選手の目は、かつてのような鋭いまなざしではなく、優しさすら漂った。本来の闘争心も、最後まで戻らなかったのではないか。

桃田選手の心中を察するとやりきれないが、このままでは終わってほしくはない。自分が交通事故にあったのが27歳で、その後36歳まで現役を続けた。肉体が年齢の限界にぶち当たっても、精神的にやりきったと思わないとやめられなかった。桃田選手はいろいろな問題を乗り越え、競技への真摯(しんし)な姿勢や人間性も評価されてきていたように感じる。桃田選手を見て、バドミントンを始めた子供も多い。まだ26歳。背中を見ている子供たちのためにも、悔いなくやりきってほしい。これからの桃田選手に注目したい。


◆清水宏保(しみず・ひろやす)1974年(昭49)2月27日、北海道帯広市生まれ。白樺学園高-日大。五輪は94年リレハンメルから06年トリノまで4大会連続出場。98年長野大会500メートルでスピードスケートでは日本勢初の金、1000メートル銅、02年ソルトレークシティー大会500メートル銀。世界距離別選手権500メートルで5度の金。10年に現役引退。現在は札幌でトレーニングジム、整骨院、高齢者向けのリハビリセンターを経営している。