東京オリンピック(五輪)の陸上50キロ競歩代表を狙う新潟アルビレックスRC(ランニングクラブ)の小林快(27)が、目標に向かって再始動している。新型コロナウイルス感染拡大のため、東京五輪は来年7月に順延。代表選考会の日程は未定だが、17年世界選手権の銅メダリストは、必ず訪れる大会への準備に余念がない。

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小林が、東京五輪への1歩を踏み出している。6日から再び、目標へ歩み始めた。猛練習で準備してきた五輪代表選考会の日本選手権50キロ競歩(石川=12日)は、新型コロナウイルス感染の拡大のため3月31日に中止が決定した。その翌日から5日間のオフを取り、心身ともにリフレッシュして、また歩き始めた。50キロ競歩の代表3枠のうち2枠は内定者が出ており、残り枠は1。大舞台を目指して歩調を決して緩めない。

「1回、ガツンと休んで練習を開始した。今は鍛錬期だと思って、いつ予選会があろうとやっていく」。先の読めない状況で、7都府県に敷かれていた緊急事態宣言は16日、全国対象にひろがった。「スポーツどころの騒ぎじゃない。感染しないように、させないように出来ることをやっていきたい」。そう話しながら、練習には集中。パワーをじっくりため込む。「スピード、持久力をワンランク上げたい」。総合力アップが代表選考会が訪れるまでのテーマだ。

競歩は秋田工1年から始めた。地区大会の学校出場枠3のうち、1枠が空いていたため長距離選手から転向した。高校3年時には全国高校総体と国体で2位。「箱根駅伝で走りたい」と進学した早大でも「(長距離は)戦力外ということで」競歩再開を余儀なくされた。20キロから50キロに転向したばかりの16年全日本50キロ競歩高畠大会(山形)では、50キロ初レースで初優勝。同大会で出場権獲得した17年世界選手権では銅メダルを獲得した。「競歩には、ハマッたことはない」と小林は素っ気ないが、競歩で日本のトップ選手の1人になっていた。

「競歩は自分が一番、輝ける場所。競歩という競技を選んだからには輝くために全力を尽くさなければならない。結果を出したい」。小林は、自分が一番輝くために、東京五輪陸上50キロ競歩の代表を狙う。【涌井幹雄】

◆小林快(こばやし・かい)1993年(平5)2月28日、秋田県大館市生まれ。秋田工-早大。ビックカメラを経て、19年4月から新潟アルビレックスRC(ランニングクラブ)所属。16年全日本50キロ競歩高畠大会優勝、17年世界選手権3位など。165センチ、53キロ。