サッカーのJリーグ初代チェアマンや日本協会(JFA)会長を歴任した川淵三郎氏(84)が、東京五輪・パラリンピック組織委員会の新会長に就く。11日、女性を巡る発言で辞意を固めた森喜朗会長(83)と都内で会談。後任に推され、正式に就任要請された際は受諾する返答をした。12日に組織委が開く評議員、理事らを集めた合同懇談会に森氏と出席し、所定の手続きをへて新たな顔になる。

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五輪開幕まで半年を切ったタイミングで組織委トップの電撃交代が起きた。森会長が辞意を固め、後を受けることが決定的になった川淵氏は、千葉市内の自宅前で取材に応じ「前向きにならざるを得ない。(任期の)9月まで、森さんの意をくんで期待に沿うべく。人生の最後の大役としてベストを尽くしたい」と火中の栗を拾う覚悟を決めた。

複数の大会関係者によると組織委は、4日の時点では辞任を否定していた森会長の心変わりに備えて水面下で後任人事に着手。9日に武藤事務総長が川淵氏と接触し、森会長も連日、川淵氏に電話をかけて相談していたという。

迎えた合同懇談会前日。都内の森会長邸があるマンションの1室に招かれた川淵氏は「話は1時間ほど。外堀を埋められた感じがあり、森さんの意向に反して『勘弁してくれ』とは言えない状況だった」としつつ「森さんの成果を横取りするのは一番嫌なので、陰の人として最後の成功へ努力できれば」。この席上、森会長が川淵氏に対して会長職の後任を打診。川淵氏は別の人物の名を挙げたものの最後は首を縦に振った。

就任に関する手続きが滞りなければ、日本で行われる4度目の五輪で初のオリンピアン組織委会長が誕生する。現役時代はサッカー日本代表として64年の東京五輪に出場。人生で最も興奮、感動した場面に開会式を挙げる。引退後は代表監督をへて日本初のプロリーグ、Jリーグを立ち上げ。93年の華々しい開幕を初代チェアマンとして迎えた。

招致に尽力した02年W杯日韓大会の成功後の同年7月、JFAの会長に就任。まず取り組んだのが女子強化だった。04年アテネ五輪を前に、日本女子代表の名称を公募。「なでしこジャパン」と命名したことで知られる。その際、女性職員の「愛称を付けては」という意見を吸い上げ、すぐ命名委員会を立ち上げたほど女性の仕事へ理解も深い。

15年には日本バスケットボール協会会長に就任。分裂していた男子リーグを統一し、Bリーグを発足させた改革実績は数知れない。現在は組織委の評議員会議長、選手村の村長を務めている。「本当は村長さんの方がずっと良かったんだけどね。もうちょっと気楽な立場で。でもこの際、国のために努力を」と語った。

開幕まで時間がなく、主な職務は感染症対策、辞退者が相次ぐ聖火ランナーやボランティアのケアなど表の顔になる。利害関係の調整は「相談役」を依頼した森氏に託す見通しだ。森氏の1歳上の84歳という高齢を心配する声もあるが、もう国内スポーツ界の重鎮に託すしかない。【木下淳】