東京オリンピック(五輪)で4大会連続出場となる、16年リオデジャネイロ五輪卓球銀メダリストの水谷隼(30=木下グループ)が13日までに日刊スポーツの電話インタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大を受け「1年延期」という史上初の異常事態に直面している現状について語った。

引退時期がちらつくベテランにとって、延期時期は死活問題だった。1年後に新型コロナが終息していない可能性も考え「2年後への再延期も想定し、心の準備はしている」とも語った。2日にわたり掲載する。

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延期、中止、通常開催。国際オリンピック委員会(IOC)と政府、大会組織委員会、東京都が駆け引きに揺れ動いた3月、水谷は冷静に社会情勢を見極めていた。さまざまな立場の人が、いろいろなことを言い、臆測報道が飛び交った。

水谷 逆にそれが良かった。いきなり決定事項を言われるより、心の準備ができた。

新型コロナの世界的感染拡大を考えると「2年延期だと思っていた」。現在30歳の水谷にとって、2年となれば厳しい現実が待っていた。

水谷 年齢的に体力も衰えるから歳を重ねるほど、今まで以上に厳しい練習が必要。アジアの卓球選手はヨーロッパと違い、子どもの頃から卓球に打ち込んでいるから、30歳を超えるとモチベーションの維持も難しい。だからアジアの選手は30歳前後の引退が多い。さらに、2年延期なら代表選考もやり直しになる。出たくても東京五輪に出られなかったかもしれない。

延期の期間はベテラン選手にとって最大の岐路だった。実際、16年リオ五輪の男子ボート競技で金メダルを獲得した34歳の英国代表が先日「東京で競技人生を終えたかったが、21年は遠すぎた」とし、引退を表明。水谷も選手生命を左右する不安を抱えながら、どのような結論が来ても受け入れる準備を整えた。

水谷 やはり東京での五輪は特別。出場できるか分からなくても、2年後、極端に言えば4年延期になっても引退はせず、目指したと思う。

世界の選手からはインターネット、SNSを通じ、なかなか判断を下さないIOCへ批判の声が噴出。しかし、水谷はそれらとは正反対の思いでいた。

水谷 政治家、各組織が、それ相応の体裁を保ちたいのは分かる。「延期」と言いたいのに、言えない。かわいそうだなとも思った。五輪を開催するには多額の経費がかかるから、予算問題が「アスリートファースト」を上回る。結局、アスリートは受け入れるしかない立場にある。

予算が肥大化し、結果的に「選手目線」が二の次にされがちな五輪そのものの問題点を、あぶり出すようなコメントだった。

しかし、安倍首相がトップ外交でIOCバッハ会長と「1年延期」で話を付けた。ベテラン選手にとって、苦境の中でも希望が見いだせる延期期間となった。

その期間を戦術や体の調整など、いろいろなことを試せる。そうポジティブに捉えることにした。先月24日、延期が決まった直後、ツイッターに老化加工した自身の顔写真を投稿し、「I can do it」(私はできる)と添え、話題になった。

張り詰めた社会情勢の中、所属先からSNSの投稿内容に関する注意喚起を受けていたが「延期について何か言わないといけないと思った」。だから自身を鼓舞しつつ、わずかな皮肉も込めたツイートで、ベテラン選手の置かれた立場を絶妙に表現した。

「21年7月23日開幕」と新たな開催時期も決まり、再スタートと言いたいところだが、緊急事態宣言が発令され、練習場所がほぼない厳しい現状。今は自宅で筋トレ中心のメニューをこなすが、ラケットも握れない。世界全体が暗く長いトンネルを抜け出せない状況に、水谷は頭の片隅に、ある言葉を置き、精神的な危機管理をしている。

「22年への再延期だってあるかもしれない」。

何が起きても動じず平静さを保つには、事態が急変してからでは遅い。選手にとって重要な「心技体」のバランスを保つには、非常に厳しい日々が続いている。【三須一紀】(つづく)

◆東京五輪の卓球日本代表 19年に行われた国際大会の世界ランキングポイントにより決まり、今年の1月に発表された。男子シングルスは張本智和(16=初)丹羽孝希(25=3大会連続)、同団体戦代表は水谷隼。女子シングルスは伊藤美誠(19=2大会連続)石川佳純(27=3大会連続)、同団体戦代表は平野美宇(20=初)。初採用の混合ダブルス代表は水谷・伊藤組。五輪の1年延期が決定後、日本卓球協会は、代表権は同様の6人で継続させることを決定した。

◆水谷隼(みずたに・じゅん)1989年(平元)6月9日、静岡県磐田市生まれ。5歳から父信雄さんが代表を務める豊田町スポーツ少年団で競技を始め、青森山田中-青森山田高-明大。07年全日本選手権シングルスを17歳7カ月で当時、史上最年少制覇。08年北京、12年ロンドン五輪出場。16年リオ五輪ではシングルスで男女を通じて日本人初のメダル(銅)を獲得し、男子団体でも銀メダルに輝いた。172センチ、63キロ。家族は妻、長女。