スタンドに竹久夢二 100年前から話題の中心にいた早実/黎明期の高校野球〈2〉

早実は、甲子園大会の前身である1915年(大4)の第1回全国中等学校優勝野球大会に、東京代表として出場しています。荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」から65年前のことです。(2015年6月3日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

高校野球

★前夜に大宴会 秋田一中に完敗

大阪・梅田駅近くにあった旅館・金龍館別館はその夜、大変な騒ぎだった。

1915年8月19日。第1回全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会、大阪・豊中グラウンド)第2日を終えた夜。旅館には東京代表の早実が宿泊していた。

1番打者だった岡田源三郎捕手が、同校の野球部史(95年発行)の中でこう語っている。

「神戸二中に勝って、明日は秋田中戦という前の晩は大変でした。関西在住の校友が宿舎に押しかけ『もう優勝だ』と夜中の12時ごろまでドンチャン騒ぎ。われわれは酒も飲めず、ただその輪の中にいるだけ」

優勝候補の筆頭といわれた早実は、前日の初戦で、神戸二中を2―0で破った。西の横綱といわれた強敵だった。

その応援ぶりは大阪朝日新聞が伝えた。

「軽快に華々しくお江戸の水で雪(すす)ぎあげたどこかにいなせの姿がある」。そろいの赤旗を振って「ワセダ」を連呼した。その中に美人画で有名な竹久夢二の姿もあった。

早実には02年から3年間在籍した大の野球ファン。野球部史も夢二の随筆を引用し、発言を紹介した。「赤い三角な旗をふって声をからしてエールを歌っている私の狂態はおそらく想像できないでしょう」。

第1日の試合後、選手全員が箕面有馬電気軌道(のちの阪急電鉄)の招待を受け、特別電車で宝塚を訪れた。

大温泉で汗を流し、少女歌劇を楽しんだ。早実ナインはといえば、翌日も宿舎で大宴会。石井順一遊撃手の発言がある。「皆、秋田中をなめてましたね。しかし、秋田中の長崎投手は素晴らしかったですよ。速球に手を焼いたんです」。散発3安打、守りでは5失策。1―3で完敗した。

徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。