【独占2時間】清原和博氏「これからの僕には、父のような本当の強さが必要」/後編

プロ野球で通算525本塁打を放った清原和博氏(55)が、日刊スポーツの独占インタビューに応じ、3月25日に85歳で急逝した父洋文さんへの思いを語りました。次男・勝児選手(慶応高2年)が甲子園に「清原コール」を響かせた21日から、わずか4日後の訃報でした。

第2回では、父との最後の会話、恩師の死、そして自身の未来について語りました。

プロ野球

愛犬の常吉と。父の洋文さんを亡くした清原氏にとって、家族と並ぶかけがえなき存在

愛犬の常吉と。父の洋文さんを亡くした清原氏にとって、家族と並ぶかけがえなき存在

◆清原和博(きよはら・かずひろ)1967年(昭42)8月18日、大阪府生まれ。PL学園では1年から4番を打ち、桑田投手とともに5季連続で甲子園出場。通算13本塁打を放ち、優勝2度、準優勝2度。85年ドラフト1位で西武入団。1年目から4番に座り、打率3割4厘、31本塁打で新人王。96年オフにFA権を行使し巨人移籍。通算525本塁打は歴代5位。サヨナラ安打20、サヨナラ本塁打12、196死球は歴代最多。西武と巨人でリーグ優勝10度、日本一8度。05年オフに巨人を自由契約になり、オリックス移籍。08年現役引退。現役最終年は188センチ、104キロ。右投げ右打ち。

日刊スポーツのデータベースに1万4500枚保管されている清原氏の写真のうち、洋文さんが映っているものは、入団会見と引退試合の2枚しかない。引退試合の貴重なショット=2008年10月1日、京セラドーム大阪

日刊スポーツのデータベースに1万4500枚保管されている清原氏の写真のうち、洋文さんが映っているものは、入団会見と引退試合の2枚しかない。引退試合の貴重なショット=2008年10月1日、京セラドーム大阪

22年6月 脳梗塞で入院

清原氏は自宅のソファに座り、ペットボトルの水を飲みながら話を続けた。ときおり手帳を開き、日付やメモを確認していた。


――昨年(2022年)6月、お父様に何が起きたのですか

清原氏(以下、敬称略)昨年の6月17日に脳梗塞で倒れました。その2日前まで、仲間とゴルフをしていたぐらい元気だったので、突然のことでした。1人暮らしだったので、病院に搬送されるまで時間がかかってしまいました。

22年の6月から闘病生活に入った洋文さん。清原氏は、日々の様子を詳細にメモしていた

22年の6月から闘病生活に入った洋文さん。清原氏は、日々の様子を詳細にメモしていた

――すぐに駆けつけたのですか

清原私は17、18、19日と名古屋で中日―巨人のラジオ解説をしていました。そこに連絡が来たので、名古屋から大阪まで車で行きました。6月17日といえば、(元妻の)亜希のお母さんの命日なんです。そういう日に父が倒れるなんて、ショックを受けました。

――そこから入院が続いていたのですね

清原細い腕に点滴やらの跡がたくさんあって…父も受け入れられないところがあったのでしょう。リハビリが始まっても、我慢強く、粘り強かった父が、意欲を失ったり、涙を流したり、そういう気持ちの波がありました。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。