【大阪桐蔭元主将】亜大イチの練習量も…傷だらけの人生でプロの夢散る/連載〈8〉

廣畑実氏(29)の夢はプロ野球選手だった。中学時代から野球エリートの道を歩んだが、たび重なるケガが原因で、現役を引退した。今、YouTube「ミノルマンチャンネル」や野球塾「Amazingベースボールパートナー」で夢を追う少年たちを指導する、ミノルマンが夢を諦めた日までを振り返る。

その他野球

◆廣畑実(ひろはた・みのる)1993年(平5)8月27日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭の内野手として2年のセンバツに出場。秋から主将を務める。1年下に藤浪晋太郎(アスレチックス)、2年下に森友哉(オリックス)らがいた。亜大―JR東海と進み、右肘故障の影響で16年に現役引退。退社後に野球塾、オンライン指導など小、中学生に野球を教える。19年9月にYouTube「ミノルマンチャンネル」を開始。650本以上配信し、現在10万3000人の登録者数は野球技術指導動画としては最大。168センチ、75キロ。右投げ左打ち。

先輩に康晃、後輩に木浪ら

子供のころからプロになりたかった。

中学時代は枚方ボーイズ(大阪)で全国制覇を経験した。大阪桐蔭の2年春に甲子園に出場。3年生で主将を務めた。大学は東都大学リーグの亜大を自ら選んだ。

2年上に嶺井博希(ソフトバンク)、九里亜蓮(広島)、1年上に山崎康晃(DeNA)、同期に藤岡裕大(ロッテ)、板山祐太郎(阪神)がいた。

1年後には木浪聖也(阪神)、2年後には高橋遥人(阪神)、北村拓己(巨人)が加わった。在学中の8回のリーグ戦で6度優勝、神宮大会で日本一2度という強さを誇った。

亜大キャンプを訪問した藤浪晋太郎と。左から2人目が廣畑氏。右は、名古屋校で塾長を務める水本弦氏=2013年2月18日、沖縄・八重瀬町

亜大キャンプを訪問した藤浪晋太郎と。左から2人目が廣畑氏。右は、名古屋校で塾長を務める水本弦氏=2013年2月18日、沖縄・八重瀬町

練習は厳しく、心身ともに強い選手が多く、プロ野球の首脳陣がルーキーに対する時、「亜大出身なら大丈夫だろう」と、すぐに厳しい練習に取り組ませると言われている。

廣畑氏も「亜細亜の野球は一生人生に役立ちます。落ち込んだときは、亜細亜での練習や寮生活を思い出します。あれだけ、苦しいこと厳しいことを経験したんだからって」と振り返る。

厳しい厳しい亜大野球部の中でも、廣畑氏の練習は「僕が一番やったと思います」と言い切る。

ミノルマン「悔いが残るということは練習不足」というチームの考えは、僕には合っていたと思います。めっちゃ寒い日でも朝4時に起きて、バット振りました。みんな寒そうに起き出してきた時には、僕だけ湯気が出ているとか。

「振っとったらほぐれるよ」みたいな感じで、寒いときでもいきなり振る。今やったら絶対そんなことしないですけど、そういうのもあって一生懸命練習したけど、ケガもしました。

4年生の春季リーグ拓大戦の6回裏に代打出場して一ゴロに倒れた廣畑氏

4年生の春季リーグ拓大戦の6回裏に代打出場して一ゴロに倒れた廣畑氏

腰、肩、肘…とにかくケガが多かった。1年の春からリーグ戦のベンチ入りした。「何か嫌な感じがする」と気配がしたら腰を痛めた。腰に回転などストレスがかかり過ぎて発症する腰椎分離症だった。

診断は全治半年。ただし「性格的に練習やりたいタイプ」とあって、完治目前で練習しては長引いた。復帰したのは2年の春だったが、3カ月ぐらいしてまたケガ。12月になって復帰して、3年生になったら肘を痛めた。

「壊れてもいいから」

「4年のうち2年半はケガしてた」というほど、故障を繰り返したが、復帰のたびに試合で結果を残した。

勝負強く、特に速球派の投手を得意とした。東洋大・原樹理(現ヤクルト)、明大・山崎福也(現オリックス)、柳裕也(現中日)、創価大・田中正義(現日本ハム)ら、同年代でプロ入りした本格派から、練習試合などでヒットを打った。

そうすると、ベンチも勝負どころで使いたくなる。「壊れてもいいから、行けっ」。そんな乗りが嫌いでもないからつい無理をした。「原因はケア不足やと思います」。今ならそう考えられる。でも、プロになりなかったから、ケガを繰り返した。

同時に「こういうやつがプロに行くんやろな」と感じる選手とも出会った。

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。