【舞台裏】巨人浦田俊輔に届いた父の言葉「クヨクヨするんだったら岡本さんも悲しむよ」

巨人ドラフト2位ルーキーの浦田俊輔内野手(23)が4カ月前の雪辱を果たしています。9月13日阪神戦(東京ドーム)で4回の守備から途中出場。9回無死一、二塁のチャンスでは犠打を決め、サヨナラ勝利に貢献しました。翌14日DeNA戦(横浜)では「8番二塁」でスタメン出場すると、2回1死二、三塁の第1打席でプロ初打点となる2点適時打を放ちました。5月6日阪神戦(東京ドーム)での悲劇から4カ月。なぜ、立ち直れたのか。父秀明さんの存在もありました。

プロ野球

「The Backstage」

ドラマは注目シーンだけが、見どころではありません。目立たないところにも、さまざまなストーリーが詰まっています。舞台裏で、記者が見て、聞いて、思った話をお届けします。

◆浦田俊輔(うらた・しゅんすけ)2002年(平14)8月30日生まれ、長崎市出身。放虎原小1年から軟式野球を始め、海星中では海星シニア。海星高で2年夏に甲子園出場。九産大では1年春からベンチ入りし2年秋から正遊撃。24年ドラフト2位で巨人入団。今季開幕1軍入りし、開幕戦の3月28日ヤクルト戦(東京ドーム)に代打で出場し、デビュー。遠投117メートル。50メートル走5秒8。171センチ、67キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1200万円。

9月13日の阪神戦で9回、送りバントを決める。投手ドリス

9月13日の阪神戦で9回、送りバントを決める。投手ドリス

9月13日阪神戦9回犠打「絶対決めてやろうって」

浦田がプレッシャーに打ち勝った。

9月13日阪神戦(東京ドーム)。1点ビハインドの9回無死一、二塁。絶対に犠打のサインが出る。そんな場面で打順が回ってきた。

「1点差で次のバッターが(坂本)勇人さん。絶対に決めてやろうって思っていました。(中山)礼都がセカンドベース(二塁走者)だったので、きっちり前に転がそうと思って」

ドリスの初球150キロツーシームを、絶妙にボールの勢いを殺して捕手の前へ転がした。プロ初の犠打成功。それも大事な場面で決めてみせた。

ベンチに戻る際は思わず感情を爆発。試合後の囲み取材では充実感たっぷりの表情でその時の心境を振り返った。

「ホッとしたというのが一番です。絶対決めたいという思いが強かったので、良かったです」

5月6日の阪神戦で、中野(右)の三塁犠打で、岡本が浦田からのボールを捕球しタッチに行った際に接触、負傷。長期離脱することに

5月6日の阪神戦で、中野(右)の三塁犠打で、岡本が浦田からのボールを捕球しタッチに行った際に接触、負傷。長期離脱することに

4カ月前失意のどん底…送球ミスで岡本負傷

4カ月前は、そんな姿を想像することもできないくらい失意のどん底にいた。

「8番三塁」でプロ初スタメン出場した5月6日阪神戦(東京ドーム)。初回無死一塁の守りで悲劇は起きた。

中野が三塁方向へ犠打を試みた。打球を処理した浦田の送球がそれ、一塁手の岡本と打者走者の中野が交錯。岡本は左肘付近をおさえたままグラウンドに倒れ込み、そのまま負傷交代。左肘靱帯(じんたい)損傷と診断され、約3カ月の長期離脱を余儀なくされた。

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2001年12月生まれ。千葉県千葉市出身。10年に地元球団のロッテが日本一になった瞬間をテレビで見たことがきっかけで、野球の面白さを知る。高校時代は、土日休みだった硬式テニス部に入部し、週末になると野球観戦に出かける日々を過ごしていた。
武蔵大社会学部メディア社会学科を経て、2024年4月に入社。夏の高校野球取材では東東京地区を担当。東東京代表の関東第一が甲子園でも決勝まで勝ち上がり(結果は準優勝)、胸が熱くなった。同年10月から野球部配属となり、遊軍として各球場を転々とした。
25年1月から巨人担当。趣味はドラマ鑑賞、神社仏閣巡りなど。好きな食べ物はラーメン(特に家系)。