制限撤廃でR-1挑戦可能も「出るべきか、出ない方がいいのか」ヒューマン中村の苦悩

ピン芸人のヒューマン中村(40)が芸歴20周年を迎え、来年1月21日に大阪・なんばグランド花月(NGK)で単独ライブ「大事(おおごと)」を開催する。NGKでの単独は自身初で「その日にしか見られないものをやります!」と気合十分ながら、予期せぬ事態が発生。ピン芸人の祭典「R-1グランプリ」で、芸歴制限(10年以内)が撤廃されたのだ。芸歴制限でR-1から解放された過去3年、伸び伸びとネタづくりに取り組んでいた。「NGKは絶対に成功させたい。R-1は出るかどうか、本当に迷ってます」と胸の内を明かした。

お笑い

<吉本芸人インタビュー>

◆ヒューマン中村(なかむら) 1983年(昭58)9月8日、石川県七尾市出身。NSC(吉本総合芸能学院)25期。同期にジャルジャル、銀シャリ、プラス・マイナスら。ピン芸人としてR-1グランプリの決勝に6度出場。2013年(平25)は準優勝(優勝は三浦マイルド)。フリップネタ、ひとりコント、漫談など幅広い。来年1月21日に大阪・なんばグランド花月(NGK)で20周年単独ライブ「大事(おおごと)」を開催。趣味はクロスワード、映画鑑賞、大喜利。身長175センチ。

芸歴10年以内という出場資格が変更され、R-1グランプリに出るかどうか、悩んでいるヒューマン中村

芸歴10年以内という出場資格が変更され、R-1グランプリに出るかどうか、悩んでいるヒューマン中村

20周年「気恥ずかしい」

ベテランと呼んでもおかしくない、芸歴20年。しかし、NGKでの単独ライブは初になる。吉本の芸人なら、誰もがあこがれるNGKの舞台。

ヒューマン 20周年の節目で単独ライブをさせてもらうことになりました。同じピン芸人のバイク川崎バイクや守谷日和が先にNGKで単独を行って「いつか自分も」と悔しい思いをしていたので、ひとつの夢がかなった感じです。ただ20周年、というのはちょっと気恥ずかしい思いもありまして…。

苦笑いには事情がある。ヒューマンが所属するよしもと漫才劇場(マンゲキ)は原則として、若手メンバーが腕を競う場。メンバーの若返りもあって、時には10歳以上若い後輩とともにゲームコーナーで体を張ることもあるのだ。

ヒューマン 「20年も続けてこられてすごい」なんて言われると「いや、そんな特別なことをしたわけでもないですよ」と申し訳ない気持ちになってしまいます(笑い)。周囲は年下ばかりなので、もう何年も留年している大学生みたいな立場ですね。

穏やかな表情とは裏腹に、NGK公演に賭ける思いは熱い。

ヒューマン ピン(ひとり)だからポツンと寂しく見えないよう、照明など舞台装置を工夫し、NGKでしかできない演出を考えています。映像も駆使したいです。ひとりでNGKに出続けておられる桂文枝師匠、桂文珍師匠、村上ショージ師匠はすごい方ですね。僕はフリップを使ったり、マイク一本で漫談風にしゃべったり、コントを演じたり、いくつものパターンでネタをお見せしたいです。

決勝に6度も「Mr.R-1」

言葉の端々に「NGK公演をなんとしても成功させたい」という意欲があふれている。だが、悩ましい問題が降ってわいた。R-1グランプリだ。

ピン芸人日本一を争う決勝の舞台に、ヒューマンは6度も立った。R-1といえばヒューマン中村を連想するファンも少なくない。いわば「Mr.R-1」でもある。

その男には、忘れられないトラウマがある。2020年11月25日、芸歴制限が発表された。「R-1グランプリ2021」の出場資格は芸歴10年以内に限定。ヒューマンは直前まで「次のR-1も頑張るぞ!」と張り切っていた。まさかの知らせが届いたのは、マンゲキでの単独ライブの3日前だった。

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エンタメ

三宅敏Satoshi Miyake

Osaka

大阪市生まれ。1981年に日刊スポーツ入社。
主に芸能ニュース、社会ニュースの記者・デスクを務める。
2011年に早期退職制度で退社。その後は遊んで暮らしていたが、2022年から記者として復帰。吉本のお笑い芸人などを取材している。
好きなものは猫、サッカー、麻雀、ゴルフ。身長171センチ。