「羽生結弦を見くびるな」言い切ったオーサーコーチと 自室に飾った先人の手紙と
平昌五輪3カ月前に致命的なケガを追いながらも、五輪連覇を成し遂げた羽生結弦。快挙達成後、「自分がいろんなものを犠牲にして頑張ってきたごほうび。自分の人生のうちで誇れる結果」と話しました。ケガから五輪へ向かう、羽生の濃密な3カ月を振り返ります。
フィギュア
右足関節外側じんたい損傷
「ガシャッ」という音が、観客がいないアリーナに響いた。
2017年11月9日午後4時12分、大阪市中央体育館。フィギュアスケートのグランプリシリーズ(GP)第4戦NHK杯の公式練習で、40分間の半ばを過ぎたあたりだった。黒いトレーニングウエアを着た羽生結弦がリンクに倒れた。
フィギュアの現場で聞く音ではない。記者はリンク近くの最前列に座っていたため、フェンスが影になって足元は見えなかった。すぐに同僚のカメラマンに駆け寄って、着氷の瞬間を連続写真で確認した。最高難度である4回転ルッツの失敗。右膝は内側に折れ曲がり、右足首の角度は不自然だった。右手をついて衝撃を和らげているが、ダメージは明らかだった。
羽生は1度はリンクを下りたが、3分後に戻ってきた。フリー「SEIMEI」の曲をかけてジャンプ抜きで滑り出した。右足を浮かせ、左足に体重をかける。時折動きを止めて右足首をさすった。もともとリンクで弱みをみせるようなタイプではない。曲かけが終わると練習を打ち切った。
18年2月の平昌五輪(オリンピック)まで3カ月。冬季五輪は100人以上の選手が出場する。それだけ人数がいれば、直前でけがや病気のアクシデントに見舞われる選手はいるもの。しかし、まさか五輪連覇を目指す羽生に降りかかるとは思わなかった。軽傷であるはずはなく、現場は緊迫したムードに包まれた。
羽生の負傷は「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」で絶対安静10日間、全治まで3~4週間と診断された。NHK杯は欠場。しかし羽生は「フリーだけでも」と途中出場を直訴し、周囲に止められた。日本スケート連盟を通じて、12月の全日本選手権出場を目指す考えを示したが、とても間に合うとは思えなかった。
五輪連覇に暗雲が垂れこめた。羽生が治療に専念する期間、ライバルたちは躍動した。18歳ネーサン・チェン(米国)と19歳宇野昌磨は12月のGPファイナル(名古屋)で競い合った。わずか0・50点差でチェンが優勝、宇野が2位の大接戦。得点源である4回転ジャンプはチェンが5種類、宇野が4種類を習得しており、五輪本番までにさらに飛躍する可能性があった。
ライバル2人が五輪本番さながらにしのぎを削った6日後、羽生はコメントを発表した。「当初の診断では3~4週間ほどで元に戻るということでしたが、通常の捻挫よりも治りが長引く靱帯(じんたい)も損傷していることがわかりました。いつから練習を再開できるかは、まだ決まっていません」。当初の目標だった全日本選手権は欠場。過去の実績が考慮されて、平昌五輪代表には選出された。しかし、五輪は連覇どころか、出場も危ぶまれた。
急ピッチの調整には負荷がかかる。もちろんけがが再発すれば、五輪を断念せざるをえない。綱渡りのような日々を乗り越えて、ベストパフォーマンスを発揮できるのか。何よりも負傷以来、一度も公の場に姿を見せていなかった。しかも、10月のロシア杯以来4カ月ぶりのぶっつけ本番が平昌五輪になる。一方でチェンと宇野は右肩上がりでもあった。
バトン氏から「リラックスして楽しめ」
そのころ、羽生は一通の手紙を自室に飾っていた。1948年、52年と五輪を連覇したディック・バトン氏(米国)からの手紙だった。
「Enjoy the Oylmpic Experince.Relax+Have Fun!」
思うにまかせない治療とリハビリの日々。五輪連覇の先人から「リラックスして楽しめ」と伝えられた。
バトン氏は連覇を目指した52年オスロ五輪でプレッシャーから練習をしすぎて、本番でミスが出た。ダブルアクセル(2回転半ジャンプ)で両足着氷-。金メダルこそとったが、その記憶は半世紀以上たっても「悪い思い出」として胸に残る。自身の苦い経験を、66年ぶりに連覇を目指す23歳の五輪王者に伝えていた。
羽生にとってその手紙は道しるべだった。はやる気持ちを抑えて、復帰に向かった。
ただ、そんな羽生の状況は、なかなか把握できなかった。もし羽生が出場できても6位前後に入れば驚異的、尋常ではない勝負強さを発揮しても最高で銅メダルと予想していた。4回転ジャンプは4種類を習得していたが、けがの原因となったルッツ投入は厳しい。トーループ、サルコー、ループの3種類ではジャンプ構成で分が悪い。また、最大の武器である演技の高い質はキープできるのか。
年が明けて1月11日、羽生は「平昌五輪に向け、強い気持ちを持って日々、過ごしています。これからも努力を重ね、自身を超え続けたいと思います」とコメントしていた。決してあきらめていない。ただ開幕1週間前の2月2日には、最初の種目である団体戦を回避することが判明した。個人戦を前にして、最後の実戦機会も見送りになった。
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広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。
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