【山本草太〈3回連載/上〉】6歳で見たプルシェンコの輝き「この金メダル欲しい」

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫ります。

シリーズの第2弾は26年ミラノ・コツティナダンペッツォ五輪を目指す山本草太(22=中京大)が登場します。ジュニア時代に世界舞台で活躍し、将来を渇望されながら負った大けが。絶望から復活していく姿、スケーターとしての信念を確立していく心境を、全3回でお届けします。

フィギュア

21年のNHK杯男子フリーで演技する山本

21年のNHK杯男子フリーで演技する山本

フィギュアファンの母、よく聞いた「みどりさん」の名前

家にはテープが山積みだった。まだDVDでもない。ビデオテープだ。

少しずつ文字が読めるようになると、ラベルが大会の事について書かれていることも、だんだんと分かるようになっていた。

ビデオデッキに入れると、画面にはいつもリンクが映し出されていた。

そこで滑る人の事を楽しそうに見つめる母。

山本はいつもその隣にいた。

その競技が「フィギュアスケート」と呼ばれている事を意識するより前に、白銀で滑る人がいることを知った。よく聞く名前は「みどりさん」だった。

その姿は、とても楽しそうだった。

「僕、やりたい! この金メダル欲しい!」

6歳。2006年トリノ五輪。いつもと同じように母と並んで見ていた試合で、1つの光景に心底引かれた。

それはいつもと同じように、滑っている場面ではなかった。

男子の表彰式、台の一番高い位置に上がった選手が首にかけてもらったメダル。それは何よりも輝いて見えた。金色がとても似合っていた人の名前はプルシェンコと言った。

それが始まりだった。

「本当は僕、生まれる前は1999年の12月31日か、2000年の1月1日が予定日で。母はお医者さんから『どっちがいい』と聞かれたらしく、『それだったら1月1日が良い』と答えたらしいです」

生を受けようとしていた男の子は、ただもう少し母のおなかの中が居心地が良かった。

1月10日の事だった。

山本家に待望の第1子が生まれた。性別が分かってからずっと名前を考えていた母は、その顔を見てから決めようと待っていた。

「そうた」か「りょうた」。

もう瞬間だったという。

「そうたにしよう」

漢字もすぐに決まった。

「草太」

山本草太、新年が始まって10日目の事だった。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。