【再建ワセダの箱根を追う〈13〉】2季目の終幕、そして伝統を超えて/10区、エピローグ

早稲田大学競走部は、48回連続93度目となる箱根駅伝を総合7位で終えた。OBの名ランナー花田勝彦(52)を監督に迎えて2季目。「-Rebuild-再建ワセダを追う」と題した連載の最終回は、10区、そして新チーム発足の日を見つめた。伝統の根幹だった「推薦組」「一般組」の区分を超え、チームは新たなステージへを向かっていく。(敬称略)

陸上

 
 
9区を走る菖蒲

9区を走る菖蒲

付くか、付かぬか

1年前を思い起こさせる光景だった。

タスキを手に持つ菖蒲敦司(4年)の臙脂のユニホームがどんどんと大きくなってくる。

シードの安全圏の7位に浮上させてきた主将。

「お疲れさまでした!」

危機にあったチームを最後の最後にまとめ、責務を全うしようと全力で鶴見中継所に駆け込んできた。かける言葉は短くも、そこにさまざまな感謝を込めて、9人がつないできたタスキを受け取った。

10区の菅野(右)にタスキを渡す9区の菖蒲

10区の菅野(右)にタスキを渡す9区の菖蒲

10人目、アンカー。2年連続の大役でどんな締めくくりを見せられるのか。

伊藤大志(3年)、北村光(4年)の主力2人がインフルエンザで出走を断念する事態に、花田は5位で芦ノ湖を出た復路を、「守る戦いになる」と見通していた。

6、7区と栁本匡哉、諸冨湧の4年生コンビが粘り、シード権争いに巻き込まれそうな流れを8区の伊福陽太(3年)が断ち切って、9区で菖蒲がさらに上向かせた。

反転攻勢のタイミングを、復路の4人が作ってくれていた。何より、菅野が繰り返さないと誓ってきたのは「守り」だった。

「去年も追う展開ではあったんですけど、自力がなくて突っ込む展開に持ち込めずに、守る走りしかできなかった」

1年前、走りだした時に並んだ国学院大のランナーが出だしからぐいぐいと加速していった。自身が刻もうしていたペースに比べてみれば、明らかなハイペース。付くか、付かぬか。判断を迷い、守りに振れた。背中が遠くなっていくのを見つめるしかなかった。

「結局、その前半でついた差が、最終的な差になってしまいました」

終盤に詰めたが、区間記録では21秒差をつけられ、総合順位も4位と6位と明暗を分けた。

序盤からペースを上げる、いわゆる「突っ込み」への恐怖心。それは今季の駅伝シーズンでも、気持ちを縛った。

「全日本大学駅伝でも、順位的に前を追う展開だったにも関わらず、最終的に準備不足で自信を持てずに守りの走りになってしまいました。猛省の積み重ねがあったかなとは思います」

いよいよもって、1年間の集大成を雪辱で終える舞台は整っていた。

「攻める」

ただただ、一心で駆けだした。

■■■■■9区 菖蒲(区間11位)7位で10区菅野へ■■■■■

ライバル、親友の強さ

最終10区を再び。

それは想定より早く決まった。感染症に強いられ、復路候補だったランナーを往路で起用せざるをえない事情が生まれ、8区から10区は99回大会と同じオーダーとなった。

「かなり経験者の重要性は増してくるかなとは思いました。感染拡大の可能性もあって、本当に展開が読めない状態で、その中でも去年の後半区間、8区から10区を走った3人は元気に練習を積めていた。そこで帳尻を合わせるというか、どんな展開になっても、やはり経験者として頼もしく、意地を見せられたらなとは感じていました」

8区には同期の伊福が構えていた。全日本では脱水症状でレース後に救急車で運ばれるアクシデントに見舞われていた。同じ「一般組」であり、箱根駅伝のデビューも2年生の復路で同じ。レース後に声を掛け合う姿がよく見られるライバルであり、親友でもある存在には、箱根までの約2カ月間、日々の会話の中で感じる頼もしさもあった。

「もちろん長い距離への恐怖心っていうのは生まれてしまったかもしれないんですけど、これまで以上に自分の状態や現状の分析に敏感になってるかなとは感じたので。自分の現在の位置を確認して、やるべきことを洗い出す感じで。良い方向には働いてるのかなとは思いました」

出番を待つ間、8区の情報は逐一入ってきていた。区間5位。チームとしての盛り返しに貢献していた。

「僕自身は彼ならあのぐらいはやってくれるかなとは思っていましたが、駅伝は流れに左右される部分もあるかなと思っていたので、悪い流れできてあの走りができるのは、全日本で苦い思いをした経験のある伊福だからこその強さかなとは思いました」

戦前のもくろみ通りの帳尻合わせの口火を切ってくれた。自然に高ぶるものもあった

「PIU MOSSO」

芦ノ湖での一斉スタートが16校となった影響で、見た目の順位と実際の順位は複雑に入り交じっていた。ただ、タスキを受け取ってすべきことは決まっていた。1つでも上の順位を目指し、後半へのダメージを恐れずに始めから飛ばしていく。

下地には根拠のある自信があった。夏合宿、箱根直前の練習メニューは前年を踏襲していたが、余力を感じていた。

「設定タイムの部分で見ると、昨年と比べてもはるかに早いタイムでこなすことができましたし、昨年は結構遅いタイムでもいっぱいいっぱいだったのと比べても、今年は余裕を持った中でこなせていました」

伊勢路ではその成果をレース展開に落とし込む事ができなかった。レースが行われた11月上旬はまだ就職活動の真っただ中でもあった。チーム全体で受講するメンタルトレーニングの講座をリクルートスーツ姿で途中退席する姿もあった。練習時間とのやりくりをしながら、将来のために打ち込む時間を捻出した。

「目指していた業界では他の業界では見られないようなケース問題を解く面接がありました。やはり、それは一筋縄ではいかないもので、その対策も含めると、就職活動を始めてから、勉強時間はかなり急増したので。時間の管理は少し難しかったです」

11月中旬に見通しが立ち、それ以降は競技に打ち込めた。いよいよ、1年間の集大成を注ぎ込む時だった。

10区を託された菅野

10区を託された菅野

ペースを想定よりも速く押していった。沿道の歓声の中、コースの後半には運営管理者の花田からの声も混じる。

「アレグロでいこう!」

「速く」の意味の音楽用語だった。

菅野の趣味は3歳から始めたピアノで、寮にも電子ピアノを置く。授業期間などは週に3日、30分から1時間ほど。長期休暇などがあれば3、4時間も鍵盤をたたくこともある。

「中学受験をするタイミングの小6くらいでいったん辞めて、そこからは趣味です。陸上はまだ6年ぐらいなので、ピアノの方が長いですね」

発表会などに出演するのではなく自己満足と言うが、人生の欠かせないものになっている。指揮官はその心をよく理解していた。

短い言葉で感性に響くような声掛けは、気持ちを和らげてくれた。

前をいく6位の法政との差は、見た目では遠くも着実に近づいていた。20キロを過ぎてから秒差を知らされ、最後まで見えない背中を追った。

ゴールの大手町へ。ビル群の間の大通りをひた走る。その先にゴールテープが見えた。笑顔の仲間も見えた。

「ゴールの瞬間は笑顔で」

レース前に交わしていた約束をふと思い出した。瞬時に両手の人さし指と中指で「W」の文字を作って、インフルエンザで走る事がかなわなかった北村と伊藤の元へ飛び込んだ。

指でWを作りながらフィニッシュする菅野

指でWを作りながらフィニッシュする菅野

■■■■■10区 菅野(区間5位)総合7位(復路10位)でゴール■■■■■

総合順位は7位。6位の法政大までは5秒届かなかった。ただ、一様に皆は笑顔だった。

「現状の力はしっかり出せた」

区間順位は5位。昨年の10位から大幅に上げた。

7位でゴールした10区菅野

7位でゴールした10区菅野

「PIU MOSSO」

音楽用語で「これまでよりも速く」を意味する言葉を掲げたのは、年度の始めだった。

陸上競走部の恒例となっている目標シートに、思いを込めた。

1年前の自分よりも31秒速く、何よりも前半から突っ込んだ展開で粘りきった。

総合記録は10時間56分40秒。早稲田新記録を出した前年大会の10時間55分21秒には及ばなかったが、主力を欠く中で迫ってみせた。何より、直前の危機を皆で乗り切れた。

タスキをつなぐ―。

それは次年度のチームへの貢献でもある。そうして伝統は、歴史はつながっていく。

1920年(大9)、4校で始まった箱根駅伝。その一角を担った早稲田は、101回大会でも箱根路を駆ける。

「これまでよりも速く」は、常にチームの目標でもあり続け、これからも。

エピローグ

箱根ランナーたちのお正月は3日遅れにやってくる。

1月4日が“元日”になる。

その日の早朝6時前。まだ真っ暗な所沢市の織田幹雄記念陸上競技場につながる通路で、花田を待つ。1年前も同じ時間に練習場に着いて、同じように指揮官を待ち構えていた。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。