【西山真瑚〈1〉】競技専念のため名門付属小から公立中へ 自分を追い込み悩んだ日々

日刊スポーツ・プレムアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第7弾は、西山真瑚(20=早稲田大)が登場。シングルでは小学生時代に日本一、アイスダンスでは全日本ジュニア選手権2連覇の二刀流。今季は再びシングルに専念し、月末の冬季国体(27~31日、フラット八戸)で集大成を迎えます。

明日24日に迎える21歳の誕生日を前に、全4回の連載を開始。第1回は、スケート専念のため進学先を変えた小学6年生の覚悟、基礎を磨き直された中学時代を紹介します。

フィギュア

<ハッピーバースデーしんご! 1月24日21歳誕生日を祝って二刀流スケーターのルーツに迫ります>

22年全日本でフリーの演技をする西山

22年全日本でフリーの演技をする西山

始めるきっかけは“フィギュア”違いから

西山の家族に、フィギュアスケート関係者はいなかった。始まりは、ただ休日に楽しんだスケート教室だった。

西山 スケートを始めた理由は、家族でスケート教室に行った時に教えてくれた先生が「“フィギュア”やらない?」と声をかけてくれて。当時6歳の僕は、恐竜のフィギュア(人形)で遊ぶことが好きだったので「あっ! この人、一緒に遊んでくれるんだぁ」って勘違いしたことが、始めるきっかけです。でも、なかなか恐竜を持ってこないなぁ~と思っていました(笑い)。

21年2月まで東京・高田馬場にあったシチズンクラブ。そこで川越正大コーチと出会った。両親と3歳上の姉と訪れた初日に出会った。

西山 家族はスケートとか全くしていなかったし、遊びで「教室に行ってみようか」って、それだけで。もちろん親も「スケートやらせよう」なんて考えてもいなくて、誘ってくれたのが川越先生でした。とにかく楽しく指導してくれて、次も行きたいなって。

通い始めるのに時間はかからなかった。

西山 とにかくリンクに行くのが楽しくて。川越先生が楽しく自由に教えてくれるので、僕のやりたい音楽も踊りも、何をしても褒めてくれる先生でした。そんな環境から始められた幸運もあって、踊ることが小さいころから大好きになって、今の表現力にもつながっているのかなと感じますね。川越先生は有名な振り付けの先生でもあったので、表現、踊り心というものを最初から僕に植えつけてくれました。

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。