【村元哉中〈上〉】リンクデビューはスキー服にヘルメット スパンコールに憧れた

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫ります。

シリーズの第1弾は18年平昌(ピョンチャン)五輪アイスダンス代表で、22年世界選手権に出場した村元哉中(かな、29)。高橋大輔(36=ともに関大KFSC)とのカップル「かなだい」は3季目を迎えます。シングルからアイスダンスへと活躍の舞台を移し、歩んできた半生を、全3回にわたってお届けします。

フィギュア

18年にツーリングで巡った北海道。家さえ見えない道でポーズを決める村元哉中(本人提供)

18年にツーリングで巡った北海道。家さえ見えない道でポーズを決める村元哉中(本人提供)

父母と北海道ツーリング、ひまわり畑に癒やされて

一面に広がるひまわり畑が、浮き沈みの激しい心の波を落ち着かせてくれた。

2018年9月。スポーツ界ではテニスの大坂なおみが、全米オープンで日本男女初の4大大会制覇を達成した頃のことだった。

村元は北の大地にいた。

平昌大会で五輪初出場を果たしてから、半年ほどが過ぎていた。ともに大舞台を経験したクリス・リードとのカップルを解消し、拠点の米国から帰国した。神戸の実家に戻ると、ほどなくして両親から「気晴らしに、ツーリングにでも行くか!」と声をかけられた。

ヘルメットをかぶり、父のバイクの後ろにまたがった。背中越しには、常に母の姿があった。親子3人、バイク2台でのツーリング。京都・舞鶴港からフェリーに乗り、壮大な日本海を眺めた。心地よい揺れが日常を忘れさせた。丸1日をかけて北海道の小樽に到着すると、さらに北を目指した。宗谷岬の「日本最北端の地の碑」にたどり着き、スマートフォンを手にほほえんだ。

北海道で色濃く印象に残るひまわり畑。自らのスマートフォンで写真に収める(本人提供)

北海道で色濃く印象に残るひまわり畑。自らのスマートフォンで写真に収める(本人提供)

「どこもすごくきれいでした。空が大きく感じて、どこを見てもひまわりしかない景色が印象的。車が1台も見えない、空気がきれいなところを走って、リフレッシュできました」

1週間ほどかけて、北海道をまわった。25年の人生を振り返っても、これほど五感を研ぎ澄ませたことはなかったかもしれない。回数も覚えていないほど、好物のソフトクリームを頬張った。立ち寄った旅館で新鮮なウニに箸を伸ばした。

「それまであんまり好きじゃなかったんですが、すっごいおいしくて…。初めてウニで感動しました。『これがウニかぁ!』っていう感じでした」

20年間打ち込んできた、スケートの話は出なかった。自分自身、これからの人生をどう過ごすのか、気持ちの整理ができていなかった。再び氷を滑る自分も、違う道に進む自分も、ぼんやりとしか想像できなかった。両親は決してせかすことなく、一言だけを授けてくれた。

「もし、哉中がスケートを続けたいなら、また新しい人を探したらいいんじゃない?」-

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。