【鍵山正和 ~哲~/連載〈1〉】優真強行出場の後悔と譲れぬ決断「1回、真っ白に」

22年北京オリンピック(五輪)のフィギュアスケート男子で、日本史上最年少メダル(個人銀、団体銅)を獲得した鍵山優真(20=オリエンタルバイオ/中京大)が、新シーズンに「リセット」を掲げて臨もうとしています。

昨年7月末に疲労骨折寸前まで左足首を痛めた影響で、今季の出場は昨年12月の全日本選手権(大阪・東和薬品ラクタブドーム)だけ。父正和コーチ(51)は、出場の決断に寄り添い、後悔も抱えながら、結末を見届けました。

完治しないまま試合を迎え、終えて、決断したのは「2カ月間リンクに入らない」こと。つらい月日を越え、初春のイタリアでの転機となる経験までを見守った父の思いを聞きました。

フィギュア

〈鍵山優真の父、正和コーチの指導哲学に触れる不定期連載スタート〉

出場に踏み切った22年全日本選手権。結果は8位だった

出場に踏み切った22年全日本選手権。結果は8位だった

喜び伝わる2カ月ぶりリンクに立った息子の姿

「もう、うれしそうでしたよ」

その情景を思い起こす父の顔にも、自然に笑顔が浮かぶ。

2月下旬の中京大でのことだった。

その日、息子は約2カ月ぶりにリンクへ足を踏み出した。

季節は冬から春へと向かう頃。ようやく、じっと耐えた心の冬も越える時が見えてきた瞬間だった。

スケート靴を履いて、ただ氷の感触を一歩一歩確かめていく。まだ、足首に負担になるような動きは控えなければいけない。1カ月はただ滑るだけ。それを互いに確認していた。

ただ、生まれ育った氷の上に戻れた懐かしい感触と喜びに、その目は輝いた。

「2カ月も離れたのは彼の人生で初めてですね」

昨年12月7日、愛知県豊田市の中京大学豊田キャンパスにて。全日本出場へ向けて本格練習を再開した

昨年12月7日、愛知県豊田市の中京大学豊田キャンパスにて。全日本出場へ向けて本格練習を再開した

「何回も衝突」後、意思尊重し全日本出場許す

最後にリンクに立ったのは、昨年12月25日、クリスマスの夜に行われた全日本選手権のフリーだった。

ショートプログラム6位から上位へ。期した演技は冒頭から2本の4回転サルコーで、転倒と、手をつくミス。動揺の色濃く、3回転ジャンプも乱れる展開となった。

結果は8位。

9カ月ぶりの試合の残酷を、優真はどう受け止めればいいのか迷うように、ただ、後悔を許さないように強気に言った。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。