好きで終わりたかった 川畑和愛がスケートから得たもの/引退インタビュー

2019年全日本選手権で彗星のごとく駆け上がった高校3年生がいました。川畑和愛(かわばた・ともえ)、ダイナミックなジャンプと伸びやかなスケーティングで3位となり、次代を期待される存在として脚光を浴びました。それから5年、3月9日に東京・東伏見ダイドードリンコアイスアリーナで開催された「ワセダオンアイス」で引退を発表しました。22歳になった彼女が決断に至った経緯とは-。過去、現在、未来を聞きました。

フィギュア

アイスショーのフィナーレで目を赤くしながら引退のあいさつをする川畑

アイスショーのフィナーレで目を赤くしながら引退のあいさつをする川畑

1年ぶりのリンクで

――大学のアイスショーでの引退発表という形になりました。終えてみていかがですか

川畑 あの場できちんと言葉にできて、やっとしっかりと終えれたなっていう実感を、今改めて感じています。

――フィナーレでのあいさつという形でしたが、多くの声援がありました

川畑 終わってから私がリンクサイドに上がるまでスタンド席で待っていてくださって、話しかけてくださる方とかもいて。なんて言うんだろう、15年の競技人生で、こんなにたくさんの方から、温かい気持ちをいただけたのは本当に幸運なことです。本当に貴重な体験をさせていただいたなっていう思いがあふれました。

――2023年の「ワセダオンアイス」以来1年ぶりに氷に乗られたそうですね

川畑 あいさつする時に出ていった瞬間は、「こけないかな」っていうのがまず心配だったんですけど(笑顔)。最後にリンクを周回する時には「あ、この感じ久しぶりだな」、「気持ちいいな」っていう感じでした。

不慮の事故と決断

――競技としての最後の試合はいつになりますか

川畑 23年のインカレ(日本学生氷上選手権大会)ですね。

全日本選手権で女子SPの演技をする川畑(2019年12月19日撮影)

全日本選手権で女子SPの演技をする川畑(2019年12月19日撮影)

――大学入学後について教えてください

川畑 私が全日本選手権で3位の高い成績を出したのは高3の時で、その次の大学1年生の年にコロナでした。コロナ禍のシーズン自体は、ジャンプの調子が崩れて苦労したなという記憶はあるんですけど、国体で自己ベストで出すことができ、苦境の中でも頑張れた1年なのかなって思っています。その次の年がオリンピックのシーズンでした。シーズン最初、夏頃に、世界ランクのポイントがなくてオリンピックの選考基準に乗れないことが分かったんですけど、大学を1年休学してスケートに専念していたので、オリンピックに出られないと分かってからでも、全日本に向けて頑張ろうという気持ちでいました。

――難しい気持ちでシーズンに入られたんですね

川畑 オリンピックに向けて頑張っていた気持ちを無駄にはしたくなかったので、全日本で自己ベストを出すなど自分ができることをしっかりやっていこうという意気込みがありました。そんな時に、交通事故にあってしまいました。

ジャパンオープンで演技する川畑(2020年10月3日撮影)

ジャパンオープンで演技する川畑(2020年10月3日撮影)

――大会の直前でしたね

川畑 約1カ月前です。歩いていたところに車が。骨折など目に見えるけがはなかったんですけど、むち打ちみたいな症状がずっと続いてしまって。全身の筋肉が張っている感覚がずっとありました。思うように練習もできない状態になっていって、精神的にも結構きつくて。それで棄権を決めました。

――そこからはどのような日々でしたか

川畑 全日本を棄権してから2カ月間休んでいました。その時は、人生最大に気持ちが真っ暗だったんですが、そういう状況になっても前進しなきゃいけないっていう気持ちを根本的に持っていて。なので、自分の悲しかったり、悔しかったりといった気持ちを整理しつつ、2月末に控えていた「ワセダオンアイス」で、1回滑ってみました。そうしたら、15年続けてきたフィギュアスケートを中途半端で終わっちゃいけないって強く思ったし、スケートを好きと言えない気持ちで終わるのはすごく嫌だなって思って、1年続ける決断をしました。

――練習も再開して体の状態は

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2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて17年。25年4月に初の異動で野球部へ配属となりました。競技経験はありませんが、現在は息子が通う少年野球チームで“球拾い”コーチとして奮闘中。記者としても、様々な話題を拾います。ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。クラフトビール好きです。