「メダル請負人」井村雅代 突然告げられた退任要請…21年東京で何が起きたのか/上

空前のメダルラッシュの陰で、語られなかった物語がある。アーティスティックスイミング(AS)日本代表は、昨夏の東京五輪で4位だった。「メダル請負人」井村雅代コーチ(C、72)は、競技最終日に日本代表ヘッドコーチ(HC)を退くことを表明した。現在は五輪種目ではないソロを選んだ乾友紀子(32=井村ク)をマンツーマンで教えている。東京五輪で何が起こっていたのか。

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「メダル請負人」井村雅代ヘッドコーチ。指導者として16年リオまで9大会連続で五輪メダル獲得。写真は、04年アテネ五輪で銀メダルに輝いた日本チーム

「メダル請負人」井村雅代ヘッドコーチ。指導者として16年リオまで9大会連続で五輪メダル獲得。写真は、04年アテネ五輪で銀メダルに輝いた日本チーム

AS世界的指導者、今は乾とマンツーマン

のどの奥にひっかかった小骨のようだった。

井村Cは今年6月、世界選手権ブダペスト大会で、乾を日本初のソロ2冠に導いた。笑顔の2人を見るたびに、あの夏に抱いた疑問は解消されていない、と感じていた。

なぜ日本はメダルをとれなかったのか。

なぜ井村Cは最後に代表HCの退任を明かしたのか。

なぜ乾1人だけを指導しているのか。

連日のメダルに沸いた東京五輪。メダルを逃したAS日本代表は忘れられた存在だった。

今年の秋、その答えを聞く機会を得た。小さな会議室で約1時間、井村Cと1対1で対面した。

まず、いつからHCの退任を考えていたのか。

東京五輪3カ月前の5月日本選手権、チーム練習で指示を出す井村雅代ヘッドコーチ(右から3人目)

東京五輪3カ月前の5月日本選手権、チーム練習で指示を出す井村雅代ヘッドコーチ(右から3人目)

「東京五輪で最後にしてください、と。失礼やなと思った」

井村C 考えていたんじゃない。21年6月に「今度の東京五輪で最後にしてください」と(日本水連の)本間(三和子)委員長に言われた。「どうですか?」ではなく「これで最後にしてください」と。こんなもんやなと。14年に(HC就任を)頼んでおいて、失礼やなと思った。

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益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。