辰吉寿以輝の現在地〈26〉衝撃KO負け翌朝、辰吉一家をホテルロビーで待った

平成のカリスマ、丈一郎(54)を父に持つ辰吉寿以輝(28=大阪帝拳)。

日本初の親子世界王者につながる道を一途に歩みます。

初のタイトル戦でTKO負けを喫した寿以輝は、記憶がなく、報道陣の前に出ることはありませんでした。

ボクシング人生初黒星を喫してから一夜明けて、初めて語った言葉は「辰吉らしい」ものでした。

ボクシング

壮絶KO負けから一夜明け、都内ホテルで思いを話す辰吉寿以輝=2024年12月13日

壮絶KO負けから一夜明け、都内ホテルで思いを話す辰吉寿以輝=2024年12月13日

一夜明け、率直な思いは

24年12月13日午前6時55分。

まだ人けがまばらな、都内ホテルのロビーに座った。

前夜、ちらりと見た寿以輝の表情が気になった。

後楽園ホール1階、エレベーターの前。

家族と一緒に歩いて会場を出た寿以輝は、明らかにいらだった顔をしていた。

その理由を知るために、辰吉家が宿泊するホテルで、チェックアウトを待った。

前夜のダメージを考えれば、早朝から大阪に向けて出発することは考えにくい。

普通に考えれば、宿泊ホテルのチェックアウトタイムである11時の直前だろう。だが絶対とは言い切れない。

どうしても寿以輝を捕まえたかった。

だから早朝からホテルに到着して、待った。

1時間、2時間、3時間たっても、姿はない。

もしかしてホテルを間違えたか、と不安がよぎった時に、吉井寛会長が現れた。

「あれ、また、おるんや」

「仕事ですから」

「何でここがわかったん?」

「それが仕事ですから」

「まあ、そうやなあ」

吉井会長が来るということは、間違えてはいない。

辰吉一家は午前10時30分すぎに1階ロビーに姿を見せた。

帽子をかぶった寿以輝もいた。

本文残り74% (1460文字/1985文字)

スポーツ

益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。