【ヤマコウの時は来た!】
特選11Rに脇本雄太が出走する。Gレースを棒に振ってまでも世界に挑む姿は、漢字の競輪ではなく、カタカナのケイリンがしっくりくるようになってきた。競技にはほど遠いイメージだったが、13年に強化指定選手となり今年で5年目。東京五輪まであと3年を切った彼に今の心境を聞いてみた。
-13年から強化指定選手になった理由を聞かせて欲しい
脇本 高校時代は1キロタイムトライアルで国体に出たし、競技にはずっと興味がありました。自転車に乗り始めた時から、母親に「世界一を目指せ」って言われていて、09年にはコロンビアのワールドカップでケイリンの決勝に乗りました。できれば12年のロンドン五輪にも出たかった。
そんな脇本に不運が襲う。11年7月に母親が他界。しかも福井G3に参加中だった。私も参加していたので覚えているが、脇本はいつもと違う雰囲気だった。地元のプレッシャーかなと思って冷やかしていたが、決勝後にその話を聞いて、悪いことをしたと思ったものだ。
脇本 福井G3の前に母親の病状が悪化していて、強化指定の選考会にはとてもじゃないが出られないと断りました。「出られなければナショナルチームに入れられない」と言われ、そこで心が折れて競技の熱が冷めてしまいました。
脇本はしばらく国内の競輪に没頭する。以前、前橋バンクを得意にしている脇本に、どうやったらそんなにスピードが乗るのか聞いたことがあったが「前橋ならいつもより長くもがけます。だって体を倒すだけで自転車が進んで行くんです」と言った。
体の使い方を勉強していた私にとってすごいヒントになった。軸を倒すことによって、さらに力を抜いて自重でペダルを落とすことができる。話がそれたが、また競技をやるタイミングがやって来る。
脇本 母親が亡くなってから2年後に「雄太は世界を目指してほしいと言っていた」と兄弟から知らされました。ちょうどその時、松本整(当時の代表監督)さんから選考会に誘われてまたやることにしました。久しぶりの世界の舞台は軽いギアから大きなギアになり、レースが以前と全く変わっていました。そこから真剣に取り組まないと駄目だなと。
以前の脇本は、後ろから攻めて残り2周で先行し、一本棒で4角勝負というイメージだったのが、今は打鐘周辺で一気にカマして主導権を取るレースが多くなってきた。そのことを聞いてみると…。
脇本 持久力勝負から、出力を一気に上げて先行することは意識的に行っています。もがく距離が短くなってきた中で、自分のスタイルを模索していたのは確かです。今まで培ってきた経験を生かして「ここ!」という場面で行くようにしている。これはその場の雰囲気で判断していて、前もって決めているわけではありません。
長い間、先行で戦ってきた脇本にしか分からない勝負勘。彼の後ろでタイトルを取った選手もたくさんいる。
脇本 「お人よし」と言われても今のスタイルを変えるつもりはありません。それは自分らしくないと思うし、性格も変えたくない。
強化指定選手は、今日もブノワヘッドコーチから言い渡されたトレーニングメニューを朝からこなす。くたくたの体でも、特選11Rは本格先行脇本ただ1人。一気に主導権を取って駆け抜ける。(日刊スポーツ評論家・山口幸二)