雌伏の時を経て、50キロ競歩の金メダル候補として蘇った。

20キロ競歩世界記録保持者の鈴木雄介(31=富士通)が50キロで従来の日本記録を40秒更新する3時間39分7秒で初優勝。15年3月に1時間16分36秒の20キロ世界新記録を樹立後はケガに泣かされるなど、苦しみ続けていたが、距離を変えて結果で示した。ただ、内定を勝ち取った今秋の世界選手権(ドーハ)は、20年東京オリンピック(五輪)金メダルの目標を最優先するため、辞退する可能性も示唆した。

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万感とは無縁だった。優勝インタビュー。16年リオ五輪、17年世界選手権と日本がメダルを獲得した50キロでの新記録。東京五輪の金メダル候補に浮上した鈴木は言った。「全然まだまだ完全復活ではない。もっと上げていける。世界で金メダルを取ったら完全復活」。昨春の目標は代表復帰。それを上方修正し、世界の頂点を見据える自信があった。

若手の成長著しい20キロの状況も鑑み、50キロに挑戦した。50キロは3度目の出場も過去2度は途中棄権を前提にした調整で事実上、初レースの目標は「完歩」だった。それが勝負の後半で持ち味のスピードを発揮。37キロで一騎打ちだった川野(東洋大)を突き放した。

「振り返る必要はない」と言うが、ずっと苦しかった。15年3月に世界新記録樹立も、股関節を痛めた。メダルの期待を背負った同年の世界選手権は痛み止めを飲み、強行出場したが、途中棄権。その後、恥骨も痛める負の連鎖に陥った。

16年はリオ五輪の選考会すら出られず、夏から地元・石川に半年間帰った。「ずっと暗闇の中にいるような先の見えない場所にいる状況」。自分が苦しむ間に日本の競歩界が世界の舞台で飛躍したのも不安、無力感を増長させる。それでもいちるの望みは捨てず、病院を何カ所も回った。2年間まともに歩けない中、光が見えたのは17年夏。苦しみの原因が、恥骨の痛みを伴うグロインペイン症候群と分かり、周りの筋肉を鍛え、補う方法に切り替えた。強化費の不適切な申請で、17年10月からは6カ月間の公式試合出場停止処分も受けたこともあったが、どん底から返り咲いた。

20キロと50キロ。どちらの距離で狙うかは今後決めるが、いずれにしても最大の目標は東京五輪金メダル。そのために深夜号砲の世界選手権に出場するかは未定とした。「本来なら出るべき」とした上で理由を説明。「夜中に4時間近く歩く。それは人間のリズムには絶対にそぐわないことをやってる。ドーハは暑いと思うが、日差しとかは東京五輪の想定にはならない」。強化の大事な時期に体内時計が狂うことも懸念する。4年前の世界選手権は無理をして、五輪を棒に振った。思い焦がれる舞台だからこそ、大きなものを捨てる覚悟もある。【上田悠太】

◆鈴木雄介(すずき・ゆうすけ)1988年(昭63)1月2日、石川県能美市生まれ。石川・辰口中で競歩を始め、小松高から順大を経て富士通。世界選手権は09年ベルリン大会42位、11年大邱大会8位(後に6位へ繰り上がり)、13年モスクワ大会12位、五輪は12年ロンドンで36位。今年3月の全日本競歩能美大会は4位。いずれも距離は20キロ。なめらかで無駄のない歩型を持ち、失格の経験はなし。好きな食べ物は豚カツ。171センチ、58キロ。