急激に進歩した4回転だが、かつては当たり前だった時代がある。11年世界選手権銀メダル小塚崇彦氏(28)が、その魅力と変遷について語った。

 小塚氏 4回転の魅力は、空中の時間に迫力や華やかさがある。氷に接していない滞空時間が、0・7秒ほどあること。またそれを最初に、あるいは体力的につらい後半、苦しい時間にジャンプを跳ぶ。スピン、ステップも難しいことをやっているかもしれないが、成功するか否かのドキドキ感こそ魅力だ。

 正確にいえば、4回転は2度目の隆盛だ。98年長野五輪でイリア・クーリック(ロシア)が4回転を跳ぶ初の五輪王者になった。02年ソルトレークシティー五輪の王者アレクセイ・ヤグディン(ロシア)は4回転トーループを2本入れていた。

 小塚氏 00年ごろはプルシェンコ選手(ロシア)ヤグディン選手、本田武史さんを始め、ほぼ全員が4回転をプログラムに入れる時代になった。当時、中国選手権では4回転を跳ばないと2日目のフリーに進めなかったと、聞いたことがあります。

 02年五輪後の採点法の変更で状況は変わった。「6点満点」の採点法が、ジャンプ、ステップ、スピンなど各要素に得点をつけ、それらを加算していく技術点と、表現力などを示す演技構成点の合計で争われる形になった。

 小塚氏 4回転だけじゃなくて、もっとほかにいっぱいやることがあるだろう、という時代がずっと続いた。そして10年バンクーバー五輪では物議を醸した。

 10年バンクーバー五輪は4回転を跳ばなかったライサチェク(米国)が金メダルを獲得。4回転に挑んで銀メダルだったプルシェンコが「五輪王者が4回転の跳び方を知らないなら、男子シングルではなくアイスダンスに名前を変えるべきだ」と痛烈に批判した。

 小塚氏 そこからまた少しずつ4回転がフィギュアスケート男子の魅力でもあるという意識が出て、再起し始めた。そしてトーループ、サルコーの4回転2種類に移って、現在につながっている。

 かつては、4回転ジャンプ=トーループのイメージだった。現在は4回転半以外のすべてが実施されている。【取材・構成=益田一弘】


98年長野五輪以降の男子シングルメダリスト
98年長野五輪以降の男子シングルメダリスト