「Clubhouse(クラブハウス)」という新音声SNSアプリがはやっています。iphoneユーザーだけが入れるので、androidの私はいまだにどんなものか体験できておらず指をくわえて見ているわけですが、伝え聞く情報からは複数の方が同時に出たり入ったりできてみんなが聞けるラジオのようなものだと、想像しています。私が面白いなと思った点は、clubhouseが「話が残らないフロー型」「実名招待性」だというところです。

米国では最近キャンセル・カルチャーなるものが盛んに言われています。ある人の(組織の)過去のものも含む発言を引っ張り出してきて、時には文脈から切り取って、その人に謝罪をさせ、また公的な立場から退場を迫る。要するに「you are cancelled(あなたは終わりだ)」というらしいのですが、これが頻繁に起きて問題になっています。

このキャンセル・カルチャーが広がると、何かを発信する職業はなかなか大変な局面を迎えます。このキャンセルカルチャーは「文脈から切り取る」「時間軸から切り取る」という2つの特徴から生まれているように思います。例えば政治家の方の発言がよく問題になることがありますが、その場にいた人は大きな問題だと感じないということはよくあります。確かにその場に集まっている人の感覚もどこかおかしいんだという批判もありえますが、全てがそうではないでしょう。

昔、飲んでいる場所で「いつ選挙に出るの」と友達と冗談を言い合っている時に、そこにいた政治家の秘書の方に「あなたはサービス精神がありそうだから、不用意な発言に気をつけてくださいね」と言われたことがありました。目の前の人を楽しませようとして冗談を交えると、人間は文脈を複雑にしたがり、結果として文脈から切り取りやすく批判しやすい言葉になります。例え話ほど文脈から切り取った時に批判しやすい言葉はありません。

人間がAI(人工知能)よりも賢い点は、この空気と文脈を察して理解できるという点なのだそうですが、一度世に出た後は空気や文脈がといっても、そんな曖昧な言葉でごまかすな、となってしまうわけです。

キャンセル・カルチャーが広がると、人はこの発言は残るものか、また聞いている人は誰なのか、をもっと意識するようになるのではないでしょうか。いまここだけであれば文脈から切り取られる恐れも、時代が変わって発言が問題視される恐れもありませんから比較的自由にしゃべることができます。また、この人たちなら文脈をわかってくれると思った場合も自由にしゃべります。けれども、ずっと内容が残る場合、また誰が聞いているかわからない場合は文脈から切り取られる恐れがありますから、安全な話し方をするようになります。

Clubhouseは音声であるとか、簡単に人を呼んで話すグループに入れられることなども魅力の1つだと思いますが、私は冒頭で申し上げた通り「話が残らない」「実名招待制である」というのが大きいのではないかと思っています。

しかし、一般に広がった後はどうなるでしょうか。話を聞いた人がその内容を外で話すことももちろんありますし、今後は内容を録音する人も出てくるでしょう。きちんと選定して中に入れるということをやっても、ある一定以上の人数になると選定も甘くなります。インナーサークルに向けて話したら、その内容が表に出たということもよくあります。結局面白い話はいつも奥に潜る性質があるように思います。本当に世間に浸透した時、clubhouseがどう変容するかはとても興味があります。

個人的に思うのは、その人の過去の思いも文脈も含めてきちんと話を聞き切る場所の重要性です。ジャーナリストの友人がどんな激しい活動家も、じっくり相手が心ゆくまで話を聞き切ると、とても落ち着いて人間的な側面が出てくると言っていました。いつの時代もあなたの話を聞かせて欲しい、というのはとても人間的な優しさであるように思います。(為末大)

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「為末大学」)