全米女子プロで優勝し帰国した樋口久子は夫・松井功の出迎えを受ける(1977年7月7日撮影)
全米女子プロで優勝し帰国した樋口久子は夫・松井功の出迎えを受ける(1977年7月7日撮影)

男女を通じてゴルフの米国メジャー大会を制した日本人は、樋口久子さん(73)ただ1人しかいない。日本女子プロゴルフ協会元会長で、相談役として国内ツアーの会場でお会いすることも多い。今年は畑岡奈紗(19=森ビル)が米ツアーで2勝を挙げ、メジャー大会の1つ全米女子プロゴルフ選手権でプレーオフの末2位となり、樋口さん以来41年ぶりのメジャー制覇に近づいた。

そんな樋口さんに、米メジャーで勝つために必要なものを聞いてみた。樋口さんからは「それはね。運ですよ、運。その人の持っている運が左右するんじゃないかと思いますね」という答えが帰ってきた。

樋口さんは、67年に第1期女子プロテストに合格。3年後の70年から米ツアーへ参戦を開始した。「当時は、日本での試合も少なく、試合を求めて米国に行った。4月から6月までの3カ月間。毎年10試合を目標にやっていたけど、やっと慣れたところで日本に帰らないといけなかった」。1ドル=360円の時代に、1日100ドルで通訳を雇い、始めのうちは「キャディーと通訳代を稼ぐためにプレーしているようなものだった」と話す。

米メジャーの1つ、全米女子プロゴルフ選手権に優勝したのは、米国参戦から8年目の77年6月のことだった。前の週に、最終組で優勝争いし迎えた大会。「今思えば、ラッキーなことが結構あったのよ」と振り返る。大会のために取った宿が、新築でカーテンも電話も敷かれていなかった。「優勝争いしているとなると、日本から夜中でも電話がかかってくると思ったけど、それがなかった」。

大会直前に、米メジャーで優勝経験を持つキャディーを雇うことになった。メジャー4勝を挙げたドナ・カポニから解雇されたスティーブ・コーチャーというキャディーが「雇ってくれ」とやってきたのだ。コーチャーは、大会期間中毎朝、スタート前に1人でコースを回り、樋口さんに細かいアドバイスをしてくれた。「それまでのキャディーとは距離を確認するだけ。全部、私が自分でやってたけど、米国で初めてキャディーのアドバイスを聞いたの。キャディーがすばらしかった」と言う。

8年間の積み重ねの上に、いくつかのラッキーが重なったとき、米メジャー制覇が実現した。「優勝したときは、これで勝ったらゴルフを止めてもいいと思ったけど、翌日には練習場に行ってたわね」と樋口さんは笑った。米メジャーに優勝するために必要な「運」を呼び込むために、大変な苦労もした。それでも樋口さんは「好きなゴルフをしに行って、あんまり苦労と思っていない」。

米ツアー参戦から10年たって、樋口さんは、国内ツアーに復帰した。当時の二瓶綾子会長から「樋口さんが(米ツアーで)いない4~6月に、スポンサーがつかないから国内で試合ができない」と懇願された。国内のゴルフ場に今や当たり前のようにある、ショット、パットなどの練習場は、樋口さんらが米ツアーの経験を日本に持ち帰ってできたものだ。今年の国内女子ツアーは38試合と男子の試合数を逆転している。女子ゴルフ界の隆盛は、樋口さんの挑戦から始まっている。【桝田朗】

TOTOジャパンクラシックを制しキャディー(左)とハイタッチを交わす畑岡奈紗(2018年11月4日撮影)
TOTOジャパンクラシックを制しキャディー(左)とハイタッチを交わす畑岡奈紗(2018年11月4日撮影)