「お父さんのために優勝したい-。そう思うと、自分が疲れちゃうんです。ずっと、そう思いながらやってきたから」。

これで何度目だろう…。またしても初のツアー優勝を逃した、あの日。クラブハウスの片隅で、大城さつき(29=フリー)はそう漏らした。近くに、たくさんの知人がいたからだろうか。悲しみを見せまいとする無理な作り笑いが、より一層、悔しさを感じさせた。

国内女子ゴルフツアーのほけんの窓口レディース最終日(5月19日、福岡カンツリー倶楽部和白コース)。首位(通算7アンダー)から出たプロ11年目の大城に、遅咲きの初勝利へ、期待がかかっていた。

前半は2バーディー、ボギーなし。同9アンダーまで伸ばし、いよいよ優勝が現実味を帯びていた。だが、後半の10番パー4でこの日初めてのボギーをたたくと、流れが変わった。不安と、いまだ勝ったことのない焦り。そして、病床の父の横顔が、ふと脳裏をかすめる。

後半は、まさかのバーディーなし、4ボギー、1ダブルボギー。9ホールで6つスコアを落とし、届くところにあった優勝は遠く離れ、20位まで転落した。

もう、涙すら出なかった。2カ月前の3月にあったヨコハマタイヤ・プロギア・レディースも、首位から出た最終日に76と崩れ6位。過去を振り返れば、後悔で胸が締め付けられた試合は、数え切れない。

11年6月のリゾートトラストは、最終日の18番で痛恨のダブルボギーをたたき、1打差で横峯さくらに優勝を譲った。14年11月の伊藤園レディースは、プレーオフで敗戦。17年3月に地元であったダイキンオーキッドも、第2日まで首位にいながら3位。悔し涙はもう、枯れるほど流してきた。

「自覚がないんですよ。『次こそ、次こそ』って。そう思うだけで、自分の欠点を見つけられなかった。教えてくれる人もいなかったから。でも、今回は勝てない原因が分かった気がするんです」

18番グリーンでは、ほけんの窓口を制したイ・ミニョン(韓国)の表彰式が開かれていた。大城は、居場所を探すかのように、トイレに駆け込んだ。偶然、最終組で一緒に回り、2位になった申ジエ(韓国)と顔を合わせることとなる。元世界ランク1位にもなった彼女は、優しい声で話しかけてきた。

「今日は疲れたでしょう? 後半、どうした?」

大城は首を振りながら「自分でも、分からないんです」と答えた。そうやって、何度も初優勝のチャンスを逃してきた。最後の最後で崩れてしまう原因が、分からずにいた。すると、申ジエは、こんなアドバイスをくれたのだという。

「(最終日の)後半になっても、体が耐えられる練習をした方がいいかもしれない。コア(体の軸)の部分。体幹を鍛えれば、崩れることは少なくなるはず」

その教えは、大城に響いた。知人からは、後半の出だし、10番で2位以下を突き放そうとして逆にボギーをたたき、そこから流れを失ったことも指摘されたという。ゴルフは奥が深い。1ホール、1ホールの戦略はもちろん、5時間近い長丁場となる18ホールを通じた力の入れどころも勝負を左右する。大城は言う。

「ゴルフは後半が勝負。でも(後半の)9ホール(を全力)は疲れてしまう。私は(勝負の)スイッチを入れるのが早かった。後半に力感を抜くのは、難しいんですよ。でも、何かをつかんだ気はするんです」

父良雄さん(79)は脳梗塞を患い、沖縄県内の病院で闘病生活を送っている。体調のいい日は、話しかけると、返事をするようにうなずいてくれるのだという。父は、誰よりも、愛娘の初優勝を心待ちにしている。「父のために、父のために」-。そう思い続けてきたからこそ、今は少しだけ心に変化がある。

「自分が勝ちたい-。それが大前提としてあって、その結果、優勝できて、お父さんが喜んでくれたらいい。今は、そう考えるようにしているんです。また、早く優勝争いがしたい。今度、優勝が届く位置でプレーするのが、楽しみです」

故郷沖縄の父へ。そろそろ初優勝の知らせは、届くだろうか。【益子浩一】

(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)