ゴルフの女子ツアーでアマチュアとして史上初めて優勝し、日本女子プロゴルフ協会(LPGA)会長も務めた清元登子(きよもと・たかこ)さんが16日、横浜市内の老人介護施設で誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。78歳だった。LPGAが27日、発表した。葬儀・告別式は未定。

 09年冬に熊本市内の自宅で脳梗塞に倒れ、療養生活に入っていた。12年にLPGAを退会も、13年からは顧問を務めていたが、公の場に姿は見せなかった。

 清元さんは63年に24歳から独学でゴルフを始め、68年には男子の西日本オープンに出場。「女武蔵」の異名をとり、日本女子アマで3勝した。73年には現在のツアー競技にあたるトヨトミ・レディースで史上初のアマチュアVを達成し、74年に35歳でプロ入り。78年の日本女子オープンで樋口久子とのプレーオフを制するなどプロで7勝した。

 83年に現役引退後は指導者として不動裕理、大山志保、古閑美保と3人もの賞金女王を育てた。6度の賞金女王に輝いた不動は小5から面倒を見るなど、プロ入り直後の97年から4年間は自宅に居候させ、イロハをたたき込んだ。大山は高校から指導。古閑には進路に悩んでいた高校時代に救いの手を差し伸べた。

 指導方針はスパルタで理論は明解だった。腰に負担がかからないことを理由に、体重移動を生かした「2軸スイング」を提唱。その有効性は不動が故障知らず、大山や古閑も腰を痛めたことがない。マナーにも厳しく、同伴競技者にスロープレーで迷惑をかける弟子はいなかった。女子ゴルフ界に多大な貢献をし、今春に日本プロゴルフ殿堂入りを果たしていた。

 ◆清元登子(きよもと・たかこ)1939年(昭14)6月15日、熊本市生まれ。九州女学院(現ルーテル学院)高卒。日本女子アマと日本女子オープンの2大タイトルをともに勝った第1号選手。95~96年のLPGA会長時はインストラクター部門の強化に尽力、副会長も6期務めた。163センチ。