タイガー・ウッズ(43=米国)が日本で、サム・スニード氏(米国=故人)の米ツアー歴代最多に並ぶ82勝目を挙げた。

米ツアーとして日本初開催の大会は最終ラウンドの残りが行われ、ウッズは1つ伸ばし、通算19アンダーの261で、2位の松山英樹(27=LEXUS)に3打差をつけ、初日から首位を譲らない完全優勝。13年ぶりの日本参戦で成し遂げた偉業を糧に、出場を目指す20年東京オリンピック(五輪)へ加速する。

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最終18番の4メートルのバーディーパット。ウッズは、沈む球の動きをなぞるように左手でパターをゆっくり突き上げた。「ウッズ、おめでとう」-。歴史の証言者となったギャラリーから祝福の大歓声が湧き上がると、今度は右手を何度もあげて応えてみせた。

13年ぶりに戦う日本で、96年から積み上げてきた勝利を82とし、偉大なスニードに並んだ。先人が1965年にツアー最年長記録となる52歳で82勝目を挙げてから54年。43歳で追い付いた。「大きな意味を持つ数字。この勝利を日本で迎えたことは自分がグローバルプレーヤーとして活躍してきたことを示している。素晴らしい1週間」とかみしめるように言った。

2位松山に3打差をつけ、12番からスタート。第2打をバンカーに入れ、いきなりボギーとし2打差に。前をいく松山組が嫌でも目に入る。14番パー5では、「ヒデキのパットが気になってセカンドショットを遅らせた」。その松山がパットを外したのを確認すると、第3打をピン上4メートルにつけてバーディー。54ホール終了時点で2位に3打差は過去24戦全勝。データ通り、得意の逃げ切りで偉業を成し遂げた。「リーダー(首位)として過ごしたので長く感じた。ヒデキは手ごわかった」と日本のスターをたたえた。

4月のマスターズ制覇で記録に王手をかけたが、持病の左膝が悲鳴を上げ、腰痛も追い打ちをかけた。8月に左膝の5度目の手術を行い、リハビリを経て迎えた復帰戦、今季初戦だった。歩くこともままならなかった以前とは違い、しっかりしゃがみ込みグリーンのラインを読む。「簡単なことだが、違いを生む」。いきなり勝利に結びつけた。

20年東京五輪が再び見えてきた。五輪前哨戦ともいえる日本での大舞台を制し、この日発表の世界ランキング6位に浮上。1つの国と地域で最大4人が出場できる米国勢4番手で再び代表圏内に。「金メダルを目指して戦ったことがない。米国代表として出場したい」と来年の日本での戦いを見すえた。「来年も会いましょう」-。度重なるケガもスキャンダルも振り払い、前人未到とされた82勝に到達。タイガー伝説のクライマックスは、まだまだ先にある。【松末守司】

◆日本で6戦3勝 ウッズが初めて日本ツアーに出場したのは98年カシオ・ワールドで15位だった。その後02、04、05、06年にダンロップ・フェニックスに出場し8位、優勝、優勝、2位で今回が6試合目。他に、チーム戦では01年W杯で来日し3位がある。