11日まで行われた国内女子ツアーのニッポンハム・レディースは、まれに見る名勝負だった。

最終ラウンドで抜け出した堀琴音(25=ダイセル)と若林舞衣子(33=ヨネックス)は、18ホールを終えるまでボギーなし。1つのミスが命取りとなるような緊張感の中、2人とも最高のプレーを見せ続けていた。

だからこそ、敗れた若林は試合後「終始、攻めの姿勢を崩さなかった堀さんが、本当に素晴らしいプレーをした結果だと思います」と、相手をたたえた。悔いの残る負け方ではなく、力を出し尽くした末に敗れ、さわやかな表情を見せていた。

最終ラウンド翌日付の紙面の原稿では、限られた行数の中で、泣く泣く削らなければいけない描写、現象、言葉が山のようにあった。堀琴の優勝は、通算2勝で3歳上の姉奈津佳とともに、福嶋晃子、浩子姉妹に次ぐ、日本人2組目の姉妹優勝だったこと。シード権を失った18年から昨年までの3年間、出場したレギュラーツアー47戦のうち41戦で予選を通過できず苦しんだこと。それらをコメントの一部とともに書くだけで、行数はいっぱいになってしまった。

試合の描写などはごくわずか。ここまで「行数が足りない」と思ったことは初めてだと思う。それほど、試合展開は劇的で、堀琴の言葉には思いがこもっていた。

首位の若林を追って、2打差の2位から出た1番パー4で、残り163ヤードからの第2打を2メートルにつけてバーディー発進した。3番パー5では、残り87ヤードからの第3打を80センチにつけて追いついた。

一方の若林は、3番はフェアウエーから4メートルこぼれた急斜面の中腹からの第3打を、戻すだけで精いっぱい。4メートルのパーパットが残ったが、これを沈めて逆転は許さなかった。

すると4番パー4で、若林はチップインで最初のバーディーを奪った。強めに入った打球は、ピンに当たらなければ大きくオーバーしていたかもしれなかった。驚きの表情を見せた後、満面の笑みを見せた若林が自らホールアウト後に「ラッキーだった」と話した通り、ツキは若林に味方していた。

それでも堀琴は6番パー4、残り120ヤードからの第2打を10センチにつけるスーパーショットを披露。“お先”のバーディーで再び首位に並んで離されなかった。3位以下とは、この時点で4打以上の開きがあり、完全にマッチレースの展開だった。

その後、若林が7番パー5で、10メートル近いバーディーパットを決めるなどして、一時は2打差が開いた。それでも堀琴は「最後まで絶対にあきらめない。18番で2打差あろうが、何打差あろうが、絶対にあきらめない。その気持ちだけでやっていました」と、その時の心境を振り返った。

すると14番パー5で、バンカーからの第3打を3メートルにつけて1打差に縮めた。迎えた15番パー4。「勝ちたいという気持ちが強かった。ここが勝負と思って、気持ちで決めた」と、5メートルのバーディーパットを沈めて3度追いつき、ガッツポーズをつくった。

難度の高い18番パー4で繰り返されたプレーオフは、互いに1ホール目はパー、2ホール目はボギーだった。3ホール目。3オンの若林は、7メートルのパーパットを決められずにボギー。対して堀琴は、第2打を3メートルにつける圧倒的に優位な状況だった。

若林のボギーを見届けた後、バーディーパットはわずかに決めきれなかったが、静寂の中、タップインパーのウイニングパットを決めて初優勝。取り囲んでいた観衆と関係者1000人余りから「おめでとう」の大歓声と大きな拍手が沸き起こった。

両手を突き上げて喜んだ堀琴は、すぐにその両手で顔を覆って涙を流した。少し間を空けて行われた優勝インタビューでも「長かったですね。本当に長かった」と、冒頭から涙があふれた。「調子が悪い時があったので、その時を思い出してきちゃって…。その時を思ったら、優勝できると思っていなかった。優勝が、こんなにうれしいなんて。(18年に)シードを落とした時は絶望しかなくて、この世の終わりぐらいの気持ちだった。こうやって復活して、優勝できて、本当によかったなと思います」と、泣きながらも少しずつ笑顔を見せていた。

プレーオフは初めての経験だった。14年にプロテストに合格し、シード権を獲得した翌15年からの3年間で、トップ10入りは20度。初優勝のシーンを思い描かないわけはなかった。「思い描いた優勝ではありませんでした。プレーオフをするとも思ってなかった。でも今回みたいな初優勝でよかった。一生忘れないと思います」。プレーオフを3ホールも戦ってつかんだ初優勝は、遠回りしながら、苦しみながら歩んだゴルファー人生を象徴していた。

どん底だった18年以降は「ゴルフをやめようと思った」という。「ボールは真っすぐ行かないし、夜も心臓バクバクで寝られない。疲れも抜けない。悪循環で『なんでゴルフをやらないといけないんだろう』と思った時もありました。でも、調子が悪くても練習をしている自分がいた。練習をしているということは、まだゴルフが好きだということだし、あきらめられないということ。このままでは私の人生、スッキリしないまま終わってしまう。やめるなら、いろいろ挑戦して『悔いはない』というふうになりたい」。今年初戦のダイキン・オーキッド・レディースから、球筋を以前とは逆のフェードに変えるなど、過去の自分を捨てた。

思い描いた人生を送ることができる人は、ほんの一握りだろう。「もしも」や「たら」「れば」を考えるのは常で、人生は分岐点の連続。堀琴も、ちょっとした打ち損じ、クラブ選択ミスがなければ、もっと早く初優勝していただろう。

それでも、あきらめずに努力し、夢をつかんだ。人生は何度でもやり直せる-。ゴルフというスポーツの枠にとらわれず、全ての人に、そんなメッセージを届けられたと思う。

多くのアスリートから「見ている人に勇気を与えるプレーを」という声を聞く。堀琴は、その言葉を使っていないが、今回の初優勝ほど、その言葉が当てはまるプレーはないだろう。【高田文太】