松山英樹(29=LEXUS)が一時は逆転を許しながらも、最後は2位に5打差の圧勝で米ツアー通算7勝目を挙げた。2位に1打差の首位から出て2イーグル、3バーディー、2ボギーの65で回り、通算15アンダー、265。最後まで攻めの姿勢を崩さずイーグル締めでマスターズ以来、半年ぶりの優勝を飾った。日本で行われた試合としては16年国内ツアー、三井住友VISA太平洋マスターズ以来、5年ぶりの優勝。崔京周(韓国)と並ぶ、アジア人最多の米ツアー8勝目を次の目標に掲げた。

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攻めて勝つ、松山の真骨頂だった。同組で回る2位のトリンゲール(米国)を2打リードして迎えた18番パー5。第2打でトリンゲールが右の崖下に落とし、勝利が決定的な状況となっても、松山は第2打を思い切り振り抜いた。エンターテインメントの本場米国で磨かれた、ファンを魅了し続けるゴルフを徹底。2オンに成功した上、ピンまで3メートルのチャンスにつけた。コロナ禍のマスク越しに湧き上がる大歓声。ウイニングパットを沈めると、両手を突き上げた後に右手を握り、振り返って再び両手を掲げた。ガッツポーズ連発で喜びを爆発させた。

「ここで優勝することは1つの目標だった。うれしい気持ちと、マスターズで勝った後に、ここで優勝しているタイガー(ウッズ=米国)みたいに僕もなれてよかった」。今大会が初開催された19年は、ウッズに敗れて2位だった。その時の雪辱を果たすと同時に、マスターズ制覇後、同年に今大会優勝という、尊敬するウッズと同じ道を目指していたことを打ち明けた。

6番パー5で12メートルのパットを決めて最初のイーグルを奪ったが、前半で伸ばしたのはここだけだった。10番終了で、連続バーディーのトリンゲールに抜かれ、2日ぶりに2位に後退。だが「抜かれることは想定していた」と焦らなかった。11番で10メートルのパットを沈めて並び、13番では2・5メートルのパットがカップ手前で止まりかけたが、観衆の声援に後押しされたように最後の一転がりでカップイン。単独首位に返り咲き、4976人の観衆を沸かせた。

大会前に「マスターズを10としたら1もない状態」と、漏らしていた。優勝会見でも状態は「2か3ぐらい」と語った。ただ「結果としては8ぐらいまで行った。残り5ぐらい上がった要因は応援。すごくうれしかった」とも語った。5年ぶりの日本での優勝は、必然だったのかもしれない。

恩師の東北福祉大阿部監督は「学生のころから『前に進むしかない』と言い続けた。失敗は誰にもある。失敗を生かすため、松山は次の次を考えて練習をやめない」と、話したことがあった。不調でも、もがき続けた積み重ねが、観衆の後押しというご褒美に姿を変えた。次の目標は決まっている。「丸山(茂樹)さんから『抜いてほしい』と言われているアジア人最多の8勝に早く並びたい」。崔に並び、抜き去る-。次の次”が近いと予感させる圧勝劇だった。【高田文太】

◆松山英樹(まつやま・ひでき)1992年(平4)2月25日生まれ、愛媛県松山市出身。4歳でゴルフを始め高知・明徳義塾高-東北福祉大。プロ転向した13年に日本ツアー賞金王。14年に米ツアー初優勝。今年のマスターズ制覇。東京五輪は4位。180センチ、91キロ。