異色の旧帝大卒プロが、ツアー競技のプロデビュー戦を4アンダー、66でスタートした。名古屋大経済学部卒でプロ3年目の上田敦士(24=フリー)は、スタート1番パー4でショットイン・イーグルを決め、その後は4バーディー、2ボギー。首位と5打差の9位につけた。16年に初出場した今大会でツアープロを目指すことを決断。夢の第1歩を踏み出した。

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打った上田が仰天した。1番、フェアウエーから残り95ヤードの第2打。「1、2番はバーディーを取りたいホール。ピン前5メートルぐらいにつけたらいいか」。そう思っていた58度のウエッジショットがピン前30センチに落ち、ワンバウンドでカップに消えた。

「ビックリしました。急に(カップに)入って」

両目を見開き、慌てて両手を突き上げた。プロデビューの記念日の1ホール目に、まさかこんなことが起きるとは…。

幸運は続く。興奮冷めやらぬ2番パー5。ドライバーショットが大きく右へ。木に当たり、フェアウエー寄りのラフに落ちた。

「キャディーさんに『木に当たらなかったら、多分(OBに)行ってました』と言われました」

第2打をグリーン手前まで運び、60ヤードの第3打をピン前80センチにつけてバーディー。2ホールで3アンダーもの“貯金”を作った。

東大、京大などと同じ全国で7つしかない旧帝国大学の国立大、名古屋大の出身。普通、プロゴルファーの道を選ぶ者はいないが、上田は違った。

大阪市出身で野球に熱中し、猛烈な阪神ファンで年に15回ほど、甲子園に通った。小学4年で名古屋市に引っ越し、愛知県屈指の進学校の東海中に入って、ゴルフを始めた。野球部に入部テストがあると聞き「レベル高そう」と楽しみにしていたら、テストはキャッチボールができるかどうか…。拍子抜けした。右肘が痛かったこともあり、迷った。ゴルフ好きの父哲也さんに勧められ、ゴルフ部に入った。

東海高から、名古屋大に進んだ。バリバリの勉強エリート街道。ゴルフ部にいたが「うまくなりたい」と思うぐらいだった。ところが、大学1年の16年に中部学生で優勝、17年の中日クラウンズに主催者推薦でツアー初出場、人生は変わった。

「これからも、こんなにたくさんのお客さんの前でゴルフをしたい。明確にプロを意識しました」-

東海中、高の同級生に東京五輪アーチェリー男子団体で銅メダルを獲得した武藤弘樹がいた。名古屋大の同学年には、中日に19年ドラフトで育成1位指名された松田亘哲投手がいた。勉強だけが道じゃない。そう思える環境があった。創立60周年以上の名古屋大ゴルフ部関係者も「最初で最後。プロ1号だ」と盛り上がり、両親も理解してくれた。大学は今春の卒業まで6年かかったが、後悔はない。

ツアー出場優先順位を決める昨年のQTは2次落ちした。下部ツアーにも出られないランク425位だが、今大会は開催コースのメンバーに多くの東海高、名古屋大OBがいることもあり、主催者推薦をもらった。夢は「ツアー優勝」。この日は憧れの藤田寛之、中部エリアの先輩プロ桑原克典と同組でプレーした。

「ラッキーで推薦をもらえて。藤田さん、桑原さんもめちゃくちゃ親切で、めっちゃ回りやすかったです」。申し分ない“プロ初日”を終えた。第2日以降も、上田には楽しみとやりがいしかない。

◆上田敦士(うえだ・あつし)1997年(平9)6月19日、大阪市生まれ。16年中部学生優勝。ツアー競技は17、19年の中日クラウンズ、18年東海クラシックに出場し、予選通過なし。21年のPGA公認プロテスト合格。JGTOでは19年にQT初受験、20年8月の挑戦時にプロ転向。ドライバー飛距離は270~280ヤード。憧れのプロは中嶋常幸、藤田寛之。音楽は桑田佳祐、プロ野球は阪神タイガースの大ファン。家族は両親、兄。166センチ、66キロ。