渋野日向子(23=サントリー)が苦悩と挫折を乗り越え、たくましくなった。

衝撃の19年大会優勝後、コーチから独立、大胆なスイング改造を行い、米ツアーにも参戦した。無我夢中で勢い任せだった20歳とは違う。「3年たって、いろいろ変えて、覚えて。それを発揮できている分、本当に喜びを感じる」。厚みを増した23歳のプロゴルファーが、V戦線で躍動した。

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その質問を待ってましたと言わんばかりに、渋野が話し出した。

「あそこは、マジで良かったです」

実測412ヤードの14番パー4。女子の全英初開催の名門ミュアフィールドで、3日間通算のホール別難易度1位。そこでバーディーを奪った。強烈なアゲンストで残り194ヤードを3番ウッドでピン前2メートルにつけた。3年前では、打てなかったかもしれないショットだ。

衝撃の19年大会優勝。ラウンド中に駄菓子をパクつき、優勝争い真っただ中でも歓声に笑顔で手を振り応えた。「スマイリング・シンデレラ」と世界に打電された快挙を今は「ちょっと恥ずかしい」と笑う。実績のないジュニアが、青木翔コーチの手ほどきで18年にプロとなり、世界の頂点へ一気に駆け上った。

「3年前の楽しみというのは、海外が初めてで、いろいろ楽しみたくて…」

勢い任せの優勝だった。

現実に直面したのは、2度目の海外遠征だ。コロナ禍の20年、8月スコットランド女子オープン、前年優勝で臨んだ全英で連続予選落ち、9月ANAインスピレーションから10月全米女子プロまで4試合は予選に通ったが、打ちのめされた思いだけが残った。

同年暮れに青木コーチの元を離れた。世界で戦うため、1人でやると決めた。その大きな変化が、スイング改造だ。「スイングの再現性」「ショットの精度」を求め、トップを極端に浅く、低く、スイングプレーンをフラットに-。

当然、飛距離は落ちた。良くも悪くも「個性的」な動きに、プロ、ツアー関係者ですら懐疑的な見方をする人が多かった。ネット上では誹謗(ひぼう)中傷まがいの書き込みが氾濫した。重圧に押しつぶされそうになりながら、自分の道を歩んだ。

ムービング・サタデーの第3ラウンド、66を出して7位から2位に浮上した。

「ホントに自分を信じて、やってきた結果がこれって、すごく前向きになれるかなと思う」

まだ道半ばだから「最近、ゴルフは日替わりってよく言う」と笑う。ただ、3年の時を経て、少しは世界と戦える23歳になった。

渋野に、その確信はある。【加藤裕一】