今日から3回、桜のジャージーを胸に戦う「外国出身選手の物語」を紹介する。第1回は、南アフリカ出身でフランカーのピーター・ラブスカフニ(30=クボタ)。激しいタックルと黙々と仕事をこなすプレースタイルで、日本代表のチームメートからの信頼は厚い。7月27日のパシフィック・ネーションズ杯(PNC)フィジー戦で日本代表初キャップを獲得。ゲーム主将も務めるなど、高いリーダーシップで日本代表を引っ張っている。

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ワールドカップ(W杯)イヤー最初の日本代表戦。多くのファンで埋め尽くされた岩手・釜石鵜住居復興スタジアムで、ラブスカフニは震えながら国歌を歌った。日本代表初キャップを獲得し、ゲーム主将として臨んだ一戦。タックルしてはすぐに起き上がり、ひたむきに走り続けて、格上のフィジー撃破に貢献。「素晴らしい機会を与えられて、神様に感謝したい。名誉な1日になった」。フィジー戦で桜の重みを肌で感じ、胸を張った。

南アフリカのブルームフォンテーンで幼少期を過ごした。父、兄弟、周りの友達のほとんどがラグビー選手。近所の祭りに行けば、そこら中にラグビーボールが転がっていた。7歳から自然と楕円(だえん)球を追いかけ、南アフリカの大学を卒業。ひたむきなプレーが評価され、12年からはスーパーラグビー(SR)のチーターズやブルズ(ともに南アフリカ)で5シーズンプレーした。

南ア代表歴はないが、トップリーグのクボタから誘われて16年に来日。迷いはなかった。前年に行われたW杯イングランド大会での、日本-南アフリカ戦。日本がラストプレーで同点狙いのPGではなく、スクラムを選択して逆転勝利した試合を地元のバーで見ていた。「スクラムの選択の勇敢さに感銘を受けました。勇気を持った行動をするのが日本の1つの文化だと思った。日本に行くことはいいことだと思った」。母国から金星を奪った日本に心を奪われていた。

7月、フィジー戦で突進するラブスカフニ
7月、フィジー戦で突進するラブスカフニ

豊富な運動量と強力なタックルを武器に、日本でもすぐに頭角を現した。だが、最も評価されているのが高いリーダーシップだ。日本代表候補の特別チーム「ウルフパック」の一員として参加した、ニュージーランド遠征から帰国した4月上旬。代表は約1週間のオフだったが、ラブスカフニはクボタのチームグラウンドで黙々と走って汗を流した。突然グラウンドに現れて驚く、チームメートやスタッフ。ブルズを率いて2度のSR優勝に導いた名将で、チームのフラン・ルディケ・ヘッドコーチは「だからこそ、しんどい時にリーダーシップが取れるし、正しいメッセージを仲間に伝えられる。プレーで見せて示すタイプ。本当に謙虚な選手」と目を細める。

日本代表のジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチからも「彼は常にゲームを理解し、高いハードワークとリーダーシップで任務を遂行してくれる」と評価を得ている。ラブスカフニは「みんなのお手本になるような選手になりたい。いかなる状況でも冷静さを持って、一丸となって目標を達成したい」と語る。これからも日本代表を背中で引っ張っていく。【佐々木隆史】

◆ピーター・ラブスカフニ 1989年1月11日生まれ、南アフリカ・ブルームフォンテーン出身。7歳からラグビーを始め、南アフリカのフリーステート大学を卒業後に、SRのチーターズとブルズでプレー。16年からクボタ入りし、18年にサンウルブズのメンバー入りを果たす。愛称は「ラピース」。好きな言葉は「大丈夫」。189センチ、105キロ。