昭和45年生まれで50歳目前のラガーマンたちが2日、東大阪市の花園ラグビー場に約450人集まった。

9月から始まる2019ラグビーワールドカップ(W杯)を盛り上げようと、17年に45会(ヨンゴーカイ)が始めた“同窓会”の輪は全国に広がり、3年目を迎えた。ラガーマンあこがれの花園第1グラウンドで、草ラグビーを満喫した。

午前、小学生も交えたタグラグビーの部で、笑い声を上げながら芝生を駆ける親子がいた。川田麻衣さんと、長男出海くん(11)長女芽季さん(10)母子だ。麻衣さんの夫は、88年度の全国高校ラグビー大会で大阪第3代表・啓光学園(現・常翔啓光学園)の右ウイング(背番号14)として活躍した川田剛司さん。剛司さんは2011年、41歳で膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。父が高校時代、準々決勝で神奈川・相模台工に敗れ、30年後、父の“同期”が多数集まった花園のグラウンドに、親子で初めて立った。

麻衣さんは「結婚1年目で、膵臓(すいぞう)がんと言われました。当時、私のおなかに2人目がいたことで、当時は先が全く見えませんでしたね。ホンマなら余命半年やった旦那が、少しでも子供たちに父親の記憶を残すんだと、4年頑張って生きてくれたことは、大したものでした。啓光学園や徳山大のメンバーが最後まで彼を支え続けてくれたのは、ホンマに大きかったと思います。ラグビーの絆って、すごいものやなと、私はただただ感心していました」と当時を振り返る。

父のプレーは映像でも見たことがないという2人の子供は、ともに大阪の枚方ラグビースクールで楕円(だえん)球に親しんでいる。麻衣さんは「長男が小学校に上がるとき、当時のコーチが『一緒にラグビーやろう。父さんもコーチやっていたはずやし』と誘ってくれたんです」と、周囲の気持ちに感謝する。「父親がいなくて歯がゆい時は多々ありますが、空からいつも息子たちを応援してくれてると思って、私も毎日を生きてます。息子の目標は父親を越すこと。娘の負けず嫌いは父親似ですね。とにかく、みんなに応援してもらえるような子になって欲しいですね」。花園の真っ青な空の下、麻衣さんは言った。