<大相撲秋場所>◇千秋楽◇28日◇東京・両国国技館

 最後まで記録ずくめだ。東前頭10枚目の逸ノ城(21=湊)が、東前頭6枚目の安美錦(35)を押し出して13勝目を挙げた。結びの一番で横綱白鵬(29)が勝ったため、1914年(大3)5月場所の両国以来100年ぶりの新入幕優勝は逃したが、雅山と並ぶ最速5場所目で殊勲賞と敢闘賞を獲得した。さらに九州場所(11月9日初日、福岡国際センター)での最速新三役が濃厚。いきなり新関脇に就く可能性も出てきた。

 まわしを締め直し、動かし始めた体を、ふいに止めた。結びの一番が始まる。テレビを、逸ノ城はその細い目で見つめた。20秒後。勝負がついた後の歓声とため息は支度部屋まで届いた。「怪物」が席巻した15日間が、終わった瞬間だった。

 「横綱(白鵬)が負けたら決定戦があるんで、ちょっと期待しながら見てました。悔しさは特にないです。相手は横綱で、僕はただの新入幕なんで」と笑った。ただ、頭の中では白鵬戦の、前日とは違うイメージができていた。「真っすぐ当たって、左を取って…。昨日よりは、ちょっと行けるかなと思ってました」。師匠の湊親方(元前頭湊富士)が「寝るたびに成長している」と言う力がどう変化したかは、来場所へお預けとなった。

 とはいえ、1横綱2大関を倒した今場所。最後にまた、新たな力を見せた。負けた時点で優勝が決まる一番。業師の安美錦に立ち合いで初めて動かれた。だが、まるで動じない。正面に据えて冷静に足を運んだ。場所中、太りすぎたために晩ご飯を抜き続けた。公式体重は199キロも、途中で量ると195キロ。「もっと減っていると思う。体も軽い感じがして良かった」。92センチの太ももが支える下半身の強さに、相手を逃さない俊敏さ。万能の体で最後まで優勝争いを持たせた。

 10年3月26日、ウランバートルから韓国経由で着いた東京。空港の名前も覚えていない。記憶は人が多く、ビルが高かったことだけ。戸惑う中、すぐ高速バスに揺られて鳥取に行った。入学した鳥取城北高で一番学んだのは「我慢」。相撲でも私生活でも「ずっと言われていました」。遅刻が普通にあるモンゴルとは違う感覚を、そこで覚えた。入門1年足らずでの数々の最速記録の裏に、日本文化に順応した姿があった。

 三賞をダブル受賞し、来場所は、豊山と武双山の所要7場所を2場所も抜く最速新関脇も濃厚。打ち立てた記録を「全部うれしい」と言い「怪物」と呼ばれることに「普通の人間ですよ」と笑う。ただ、好きな映画は「ハルク」。主人公は怒ると怪物になる作品だ。「次も…勝ち越しを目指します」と、おごりたかぶることがない。怒らずとも力を発揮する「モンゴルの怪物」は一体、どんな成長を遂げるのか。【今村健人】

 ◆大関、横綱への道

 昇進への目安は三役(小結、関脇)で直近3場所33勝とされる。横綱昇進へは、横綱審議委員会の内規「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」を満たす必要がある

 ◆昭和以降の大関&横綱最速昇進

 大関は羽黒山(40年初)、豊山(63年春)、雅山(00年名)で所要12場所。横綱は羽黒山(42年初)、照国(43年初)で所要16場所。