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第78回東京箱根間往復大学駅伝競走:2002年1月2日(往路)3日(復路) 大波乱2区、法大徳本が棄権<第78回箱根駅伝:往路>大学NO・1ランナーの表情がゆがんだ。サングラスをかけていても、徳本は痛みを隠せなかった。「突然『バチッ』と音がした。そこまでは痛みもなかったんですが」。右ふくらはぎ肉離れ。悲劇は、2区の5キロすぎで訪れた。 まともに走れる状態ではなかった。成田道彦監督(45)が、審判車から降りて止めようとした。しかし、徳本はそれを振り切った。6・6キロで最下位に落ちた。まだ走っていた。そして、7・3キロ。監督が今度は前に立ちはだかった。それでようやくあきらめた。 2区と3区の中継点で、医務車から降ろされた。「考えられない。あり得ない。どうしても走りたかった…」。涙があふれた。主将として、エースとして、のしかかった責任はあまりに重かった。1週間前から右アキレスけんに違和感があったという。それでも前日に20キロのジョギングをこなせたことで、ゴーサインが出た。1万メートルのタイムは、全選手中トップ。成田監督は「徳本と心中、という気持ちがないこともなかった」と肩を落とした。 病院で治療を受けた後、「調子が良くて体が動き過ぎたので、こうなるかと思った」と悪夢の予感があったことを認めた。2区での棄権は昨年の東海大に続き2度目だが、今回の方が距離は短い。今季トラックでは日本人学生に負けたことがないNO・1が、箱根史上最悪の記録を作ってしまった。 最後の学生駅伝は、心身ともに痛みだけが残った。「このままじゃ終われない。また一からやり直しです」。今春からは社会人として、日本陸上界のエースを目指す。【高宮憲治】 |
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