<全国高校野球選手権:甲子園練習>◇3日

 第94回全国高校野球選手権に出場する酒田南(山形)が甲子園練習を行った。

 3年ぶり10度目の出場の酒田南は、7月25日の山形大会決勝で左足を負傷した主将の下妻貴寛捕手(3年)がこの日から練習に復帰。大阪入り後も治療を受け続けるチームの要は、試合出場に強い意欲をみせた。

 今も腫れ上がった左足を引きずりながら、下妻が甲子園のグラウンドに立った。バットを振るたびに顔をゆがめ、マスクをかぶっても腰を下ろすのに苦労する。それでも懸命に声を出し、仲間と汗を流した。4番で主将。1年春から主力としてチームを引っ張ってきた下妻は「抽選で(初戦が)最後の方の日程を引いて、間に合わせたい」と、試合出場へ強い意欲を見せた。

 9日ぶりにユニホームに袖を通した。山形大会決勝の5回裏、走塁中に二塁ベース上で相手遊撃手と激突。左足を強打した。最後まで出場して優勝旗を手にしたが、閉会式中に救急車で病院に運ばれた。診断は左足すねの筋断裂で全治2、3週間。甲子園での試合出場が危ぶまれ「かなり落ち込んだ」という。その後は点滴を打ち、左足首から膝までギプスで固定。大阪入り後も山形から持参した電気治療器で懸命に回復を目指している。

 阿彦祐幸監督(40)も高校時代に同じような状況を経験している。89年、日大三島(静岡)のエースとして静岡大会決勝に進出。しかし、痛み止めの注射を打ちながら酷使した右肘が悲鳴を上げた。決勝でも甲子園でもマウンドに立てなかった。「私は投げられないのがわかっていた。下妻は回復の見込みがある。治療に専念してほしい」と阿彦監督は復活を信じている。

 仲間も待っている。エース会田隆一郎(3年)は「大きな存在。投手の力を全部引き出してくれる」と絶大な信頼を寄せる。夢だった甲子園の舞台。下妻は「最高の夏にする」と力強く言った。大歓声の中でホームを守り、打席に立たずに終わるわけにはいかない。【鹿野雄太】

 ◆下妻貴寛(しもつま・たかひろ)1994年(平6)4月15日、山形県酒田市生まれ。小3でスポーツ少年団に入り、野球を始める。ポジションは捕手と投手。松山中では軟式野球部で捕手。酒田ハーバーベースボールクラブで硬式野球も経験した。高校では1年春からレギュラー。好きな選手は巨人阿部。家族は父、母、兄。右投げ右打ち。186センチ、85キロ。