ヤンキース一筋に20年間プレーしたデレク・ジーター氏の背番号「2」永久欠番式が、5月14日に行われた。さすがジーターという盛大さと熱狂ぶりだった。式典では現役時代の名場面をスクリーンで流し振り返っていたが、多くのシーンはいまだに記憶に残るものばかりだ。

 日本の野球ファンにとってもジーター氏は身近な存在だ。さかのぼること1997年、故伊良部秀輝氏がヤンキースに入団したとき、ジーター氏はすでにメジャーで3年目を迎える23歳だった。それから今に至るまでヤンキースには何人もの日本人選手が所属し、彼らを通してジーター氏の人柄に触れることが多かった。

 ジーター氏はベテランとなりチームキャプテンとなってからは年相応に落ち着いた雰囲気を醸し出すようになっていったが、若手時代もベテランになっても一貫して変わらなかったのは、誰に対しても人懐っこく声をかけ、チームメートをいじって相手を和ませるのがうまかったということだ。紆余(うよ)曲折を経て鳴り物入りでヤンキースに入団した伊良部氏は、当時はまだメジャーで日本人選手が珍しかった時代でもありなじむのに苦労していたと思うが、ジーター氏はそんな同氏にも同じように接していた。

 03年から7年間チームメートだった松井秀喜氏は、ジーター氏からよく「トシヨリ」と日本語で言われ、いじられていたのは有名だ。2人とも6月生まれの同い年だが松井氏の方が2週間早く生まれているために「トシヨリ」ということになったのだ。松井氏が背番号「2」の永久欠番式に出席した際も、ジーター氏にどんな言葉をかけるかと問われ「トシヨリでしょう」と笑っていた。そんな松井氏のジーター像はやはり「誰にでも気遣いのできる、そういう選手なので(自分のときも)自然と受け入れてもらった、そういう感じだと思います。いつもそこにいる選手なんで、勇気づけられるというよりも、安心させてもらえるという、そういう存在なんじゃないかなと思います」だという。

 12年から3年間チームメートだった黒田博樹氏も、やはりジーター氏からいじられていた。黒田氏といえば黙々と自分のやるべきことに取り組む生真面目な選手という印象で、決していじられキャラではなかったが、それでもいじるところがジーター氏らしい。しかしそんなジーター氏も、イチローとは「いじられる側」に回ることもあり、その2人のバランスは絶妙だったと思う。

【水次祥子】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)