<2002年7月10日付日刊スポーツ紙面から>

 メモリアル弾を白星で飾ることはできなかった。巨人松井が300号アーチを放った。広島戦の9回表、黒田から18号ソロを放った。28歳0カ月での300本。王貞治(現ダイエー監督)の27歳3カ月には及ばなかったものの、史上2番目の若さで到達した。400、500…。理想を追い求めるひたむきな姿勢がある限り、松井はホームランを打ち続ける。

 喜びは控えめだった。ダイヤモンドを1周して花束を受けとった松井は、帽子を取って軽く頭を下げただけ。史上2番目の速さで到達した通算300本塁打も、負け試合では心の底から笑うことはできなかった。「すっきりした。試合には負けちゃったけど、仕方ないね」。これまで100号、200号は勝ち試合で決めてきただけに表情は複雑だった。

 スイングも手ごたえも、過去299本に負けないぐらい完ぺきなものだった。9回表。広島黒田の143

 キロ

 の低め直球を豪快にすくい上げた。ライナーでバックスクリーン右へ飛び込む推定飛距離135メートルの特大の1発。公約通り前半戦で300号を打った。「黒田君みたいな素晴らしい投手から打ててよかったよ」。今季単打2本に抑えられていた天敵からのアーチを喜んだ。

 この日の試合前に大リーグ・オールスター戦の本塁打競争で、松井が「理想の打者」と仰ぐジオンビー(ヤンキース)が優勝したことも、大きな刺激になった。「おれだって(球宴の)ホームラン競争では結構打ってるんだよ」。ホームラン打者としての本能をかきたてられ、メジャーのパワーに負けない1発を見せつけた。ダイエー王監督の27歳3カ月に次ぐ28歳0カ月での到達には「うれしい」と素直に喜んだ。チームは敗れほろ苦さも残った。プロ入りから10年間の本塁打を「すべて覚えている」という松井の脳裏にまた印象的な1本が刻まれた。

 過去2度の本塁打王のタイトルにも決して満足することはなかった。毎年のように打撃フォームを変え、理想を追い求めてきた松井の目指すところは、もっと高い。「300号って言われても実感がわかない。記録は引退してから振り返るものだから」。今は前だけを見て、豪快なアーチでファンに夢を与え続ける。【広瀬雷太】